中 日 スポーツ 北 の 富士 コラム。 【男前横綱】北の富士勝昭の粋で面白い毒舌解説・名言まとめ【鮭じゃないんだから】

千代の山は「裏切り者!」と罵声を浴び、私と松前山は大声で泣いた…“九重親方独立”の長い1日【北の富士コラム】(中日スポーツ)

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着物姿が多いと思ったら、和装デーだった。 2年前に始まった和服来場者に特典がつく企画。 力士以外は審判、行司、呼び出しに出方が和服も場所で着替える。 着物で場所入りするのがNHK解説者の元横綱北の富士さん。 「年になるとこっちの方が楽だ」そうだ。 あいさつした親方が振り返って、後ろ姿を見てつぶやく。 「格好いいなあ」。 ラジオ解説の日はラフなジーンズの時もある。 両国近辺でキャップをかぶってウオーキング姿も見かける。 親方衆があこがれる粋な存在だ。 同時昇進した盟友の玉の海が現役中に急死した。 これが尾を引いて優勝は10回止まりも、土俵内外で話題を振りまいた。 夜の帝王と呼ばれ、レコードを何枚も出し、断髪式では白いタキシードで歌った。 解説はズバズバと辛口で、酒席では実に軽妙。 面白さは今まで飲んだ中で3本の指に入る。 2横綱を育てたが、予定通り50歳で部屋を譲った。 理事候補を外れるとスッパリ退職。 今はご意見番と言える。 同期生で仲のよかった元小結のタレント龍虎さんが昨年亡くなった。 弔辞で「まだ夢がある。 日本人横綱を見届けてそちらに行く」と読んだ。 73歳。 だいぶ長生きできそうですね。 【河合香】.

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【コラム 人生流し打ち】なぜ北の富士さんは自筆でコラムを書き続けるのか 粋で太っ腹で…マルチな才能を持つ昭和の名横綱【増田護コラム】

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それにしても北の富士場所とはどなたのアイデアですか? 2日目の1面の見出しを見た八角部屋の若い力士たちは、北の富士が花札賭博で捕まったと、大騒ぎになったようです。 それでは昨日に続きます。 幸運とも思える大関昇進でしたが、次の場所から2場所、10勝5敗が続きました。 立派な成績とは言えませんが、2桁の勝ち星は大関としても何とか及第点はつけられたと思っています。 1966(昭和41)年九州場所と、巡業を終え帰京したころから、千代の山の九重親方から、食事の誘いが続きました。 2人きりの時もあり、お客さんも同席することもあります。 次第に、いつもは快活な親方に元気がなくなってきました。 会う回数も多くなったり、なぜか報道陣らしき車に尾行され始めたのです。 場所はどこだったか忘れましたが、親方に呼び出され、2人だけで会いました。 そしてこう切り出されたのです。 「おれは部屋を出て独立したいのだが、北の富士次第。 もしそれが駄目なら、おれはこの世界から身を引く」。 驚きより目の前が真っ暗になり、思考が止まりました。 「考えさせてください」と言うのが精いっぱいで、即答できるはずもありません。 確かに私は千代の山関を頼って入門しました。 しかし弱い私を大関にまで育ててくれたのは、紛れもなく出羽海部屋です。 特に出羽海親方(元幕内出羽ノ花)、おかみさんにはひとかたならぬ愛情を注いでいただき、私にとっては大恩人。 部屋を出ることは裏切ること。 しかし、千代の山関が存在しなければ、相撲界に入ることがなかったのも事実です。 悩み抜いて出した結果は「九重親方についていく」でした。 私の他にも千代の山関を頼って入門した力士は10人ほどいました。 全員が北海道出身で郷土の英雄、千代の山関に憧れてやってきた若者です。 幕内の松前山と禊鳳(みそぎどり)。 合わせて10人以上が千代の山関と行動を共にするという話はいつの間にか、ついていたようです。 松前山だけは私と同意見で散々迷いましたが、松前山も北の富士が行くならと、千代の山派にくみしたのです。 しかし、こういう話は必ず漏れるもの。 次第に部屋の者も感づき、報道もそれらしいことを書き始めました。 われわれの決行は67(昭和42)年初場所後と決まりました。 そのころは面と向かって裏切り者呼ばわりする関取や親方たちも出てきました。 いたたまれない気持ちで何とか初場所が終わりました。 最悪の体調でしたが10勝5敗。 今考えるとよく勝てたものです。 そしてついにその日が来たのです。 出羽海部屋の大広間に一門の親方と全関取が集まりました。 そこに九重親方が呼び出されました。 私と松前山は近くの小部屋で待機しましたが、声は聞こえます。 出羽海親方が「今、九重から独立の申し入れがあったが、一門には常陸山(元横綱)の独立許さじの不文律があり、そもそも自分が連れてきたからといっても、弟子が強くなったから行くとは人道的に許されるものではない。 若い力士の将来があるので、本来は首でもおかしくはないが、破門ということで独立を許す」。 だいたいはこのような話だったと聞いてます。 「千代の山この野郎!」「裏切り者!」。 この罵声に九重親方は正座をして「寛大な処分、ありがとうございます」と深々と頭を下げていました。 私と松前山は2人で出羽海親方にお別れのあいさつに行きましたが、会えませんでした。 おかみさんから「親方はおまえたちのことは怒ってはいないから、どこに行っても頑張りなさい」と優しく励ましていただきました。 私と松前山は大声で泣きました。 外に出て10年間お世話になった出羽海の看板に別れを告げ、二度と来ることもない部屋を後にしたのです。 それでもいつかは破門が解け、戻れることを願ってもいました。 こうして私の一番長い日が終わったのです。 今思い出しても目頭が熱くなります。 お世話になった親方夫妻と佐田の山関は今はいません。 さびしいです。 (元横綱).

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[北の富士コラム]正代に何かついているとしか思えない。まるで別人、恐ろしや…あわや2敗目と観念しかけたが奇跡的に残して逆転勝ち

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相手は明武谷(みょうぶだに)関。 決して楽な相手ではありません。 今までの対戦成績もほとんど五分。 それでも今までのように嫌な相手とは思いませんでした。 初日に難敵を破って、気がつけば12連勝。 中には九死に一生のような際どい相撲もありましたが、まるで神がかっているかのように残せたのは、まさに奇跡でした。 そろそろ周りは優勝と言いだしましたが、私は全く優勝は考えていませんでした。 残り3日間、大鵬、佐田の山、柏戸戦が残っているのです。 私は3連敗だけはしたくない、その一心。 13日目は大鵬関との対戦。 場所前の7連勝の感触が残っています。 「今場所は勝てる」。 少しは自信もありました。 しかし、立ち上がって気がつけばすくい投げを食らっていました。 あの相撲は何も覚えていません。 完敗でした。 改めて大鵬関の偉大さと自分の未熟さを思い知らされたものです。 14日目は佐田の山戦です。 できることなら取りたくない相手です。 仕切り中はまるで夢を見ているようでした。 しかし、軍配が返った瞬間、体が自然に反応したのです。 稽古場では10番中1番勝てるかどうか。 右と左のけんか四つ。 左を差せたら私にも勝機はある。 狙い通り私が左を差し勝ち、一気に寄るところを、佐田の山関がしぶとい腰でうっちゃります。 軍配は私に上がりましたが、物言いとなり、取り直し。 「どうして2回も取らせるの」と審判をうらめしく思ったりもしましたが、軍配が返ると本能的に体が動きます。 肩透かしの奇襲で佐田の山関の体勢を崩し、左を差して一散に寄り切りました。 佐田の山関も懸命に突き落としてきましたが、勝利することができました。 千秋楽の柏戸戦は強引に出てくるところを肩透かしで勝つことができました。 星1つ差で大鵬関が追走していましたが、何とか逃げ切ったのです。 思いもかけなかった初優勝に、親方は男泣きしていましたが、私は実感がなく、うれしさはさほどなかったのです。 心のどこかに出羽海部屋への後ろめたさがあったのかもしれません。 それでも花道の入り口ですれ違った時、佐田の山関から小さい声で「おめでとう」と言っていただいた時、初めてうれしさが込み上げてきました。 今回も湿っぽい話になりました。 次回からは明るくいきましょう。

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