横浜 ドリーム ランド 跡地。 旧横浜ドリームランド (横浜市戸塚区)

旧ドリームランド敷地内にある相州春日神社の鹿がすごく礼儀正しいって本当?

横浜 ドリーム ランド 跡地

そしてもう一つこの土地で横浜ドリームランドの名残りが見られるのがこちら「横浜薬科大学」のキャンパス。 でかいタワービルがそびえているのが見えるが、これもまた日本ドリーム観光が建設した「ホテルエンパイア」(開業当初の名称はホテルドリーム)がその前身となっている。 この旧ホテルエンパイアだが、今では横浜薬科大学の図書館棟として使われていて、通常時は学内への一般客の立ち入りを認めておらず、普段の時期に来るとこの場所から遠目に建物をボケーっと眺める以上の事は出来ないという残念な思いをする事になる。 しかしそんな横浜薬科大学にも年に数える程しかない「学内一般開放日」というものがあり、それが毎年11月の学園祭「浜薬祭」と正月の三が日。 図書館棟21階の展望ラウンジまで自由に立ち入る事が可能となる。 旧ホテルエンパイアの中に入りたかったが為にわざわざ正月三が日を選んで横浜の僻地まで再訪した訳だが、いざ横浜薬科大学のキャンパス内に入るとご覧の通り、真正面にそびえるタワービルが存在感を放っている。 この横浜薬科大学というのも2006年に開学したばかりの新しい大学で、開学以来6年制の薬学部三学科(健康薬学科・漢方薬学科・臨床薬学科)のみ。 つまり卒業生もまだ3期生までしか卒業生が居ないという事になるのか…ピッチピチのキャンパスですね… 堂々と置かれた「建学碑」の碑文を読んで知ったのですが、福岡市に本拠地を置く全国屈指の巨大学校法人として有名な都築学園グループの経営だそうです。 何だかよく分かりませんが凄そうですね。 キャンパス内のメインストリートを突っ切るとその先にデデーンとそびえる旧ホテルエンパイア、もとい横浜薬科大学図書館棟の足元に辿り着く。 ホテル時代は「五重の塔」を思わせる桃山様式のゴテゴテのド派手な塔だったのだが、1995年にホテルが廃業してから長期間廃墟のまま放置されていた。 最上階を除いて特徴的な庇は落下の危険を防ぐ為に撤去されている。 恐らく現役時代は北海道芦別市にあった「北の京芦別」のホテル五重塔みたいなノリだったのかなあと想像するが、現在はその名残りも薄く、大学の図書館になっちゃってます。 それじゃあ中に入りますかね。 きっとホテルのロビーだったのだろうと思わせる建物一階部分のラウンジ。 今ではさすがに図書館っぽい趣きになっている。 ここがホテル時代に泊まった事のある人も、それはとうに20年以上前の記憶という事になる。 21階建てのタワーホテルとして建てられたはずのビルに僅か6人乗りの小さなエレベーターが2基しか付いていないというあり得なさ。 昭和40(1965)年開業のホテルという事もあって、設計基準的には今のものではない事は明らかだ。 案の定キャパシティに限りがあり行き帰りのエレベーター待ちが面倒である。 それでも一気に21階まで登ると、そこには開放感のある「展望ラウンジ」が姿を現す。 ここもホテル時代は「回転式の展望レストラン」があったらしいんですね。 もちろん今では撤去されていて跡形もない。 展望ラウンジからの眺め。 旧ドリームランドの敷地自体高台の上に建てられている為か、360度全て眺望良し。 東側を見ると快晴時には富士山もバッチリ眺められる。 この日は糞寒い冬の快晴で、かなり大気の透明度が高い状態だったため直線距離で約70キロ離れた富士山がくっきり見えて非常に素晴らしい。 こんな絶景を独占できる浜薬生がある意味羨ましくも思える。 普段は入れないし、特に夕方以降、夜景が見られる時間帯に一般人がまずここに来られるチャンスがない。 眼下に広がるのは横浜薬科大学キャンパスと俣野公園、そして神奈川県営及び横浜市営団地「ドリームハイツ」。 昭和39(1964)年の開園当初はこれら全ての土地が横浜ドリームランドだったが、早くも昭和45(1970)年には収支悪化し始め、敷地東側の4分の1を売却、その跡地が団地として整備されている。 ドリームハイツは横浜ドリームランドの部分売却後の敷地に昭和49(1974)年までの間に順次建設された合計23棟約2300戸の高層団地で、うち4棟が横浜市営、19棟が神奈川県営となっている。 この団地にも色々とストーリーがあるので、別の機会に詳しく紹介したい。 昭和58(1983)年に本家ディズニーランドが浦安に開園以降、入場者数はみるみる下降の一途を辿り、創業者・松尾國三の死後、泥沼の経営権争いの末に日本ドリーム観光は昭和63(1988)年に松尾家を支援していた中内功率いるダイエーに吸収、その後閉園の時までダイエーの子会社「ドリームパーク」によって運営される事になる。 当時のダイエーはイケイケドンドン状態で南海ホークスを買収するなどしていたものがバブル崩壊で資金繰りが悪化、新興のライバル施設に対抗する為の設備リニューアル費用に手が回らずアトラクションは陳腐化、すると後は弱って死ぬしかない…という流れになっていった。 一方の奈良ドリームランドもおおよそはこの流れで閉鎖しており、現在も無残な廃墟が現地に残されている。 横浜ドリームランドが2002年に閉園する直前には、開業当初の10分の1にまで敷地が縮小されていたという。 これぞ栄枯盛衰…巨大な「夢の残骸」を見ているようだ。 ちなみにバスロータリー前にあるローソンは、ダイエー傘下時に開店したもので、これも名残りと言えばそうらしいですよ。 エリアから記事を探す• 811• 216• 154• 101•

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旧ドリームランド敷地内にある相州春日神社の鹿がすごく礼儀正しいって本当?

横浜 ドリーム ランド 跡地

そしてもう一つこの土地で横浜ドリームランドの名残りが見られるのがこちら「横浜薬科大学」のキャンパス。 でかいタワービルがそびえているのが見えるが、これもまた日本ドリーム観光が建設した「ホテルエンパイア」(開業当初の名称はホテルドリーム)がその前身となっている。 この旧ホテルエンパイアだが、今では横浜薬科大学の図書館棟として使われていて、通常時は学内への一般客の立ち入りを認めておらず、普段の時期に来るとこの場所から遠目に建物をボケーっと眺める以上の事は出来ないという残念な思いをする事になる。 しかしそんな横浜薬科大学にも年に数える程しかない「学内一般開放日」というものがあり、それが毎年11月の学園祭「浜薬祭」と正月の三が日。 図書館棟21階の展望ラウンジまで自由に立ち入る事が可能となる。 旧ホテルエンパイアの中に入りたかったが為にわざわざ正月三が日を選んで横浜の僻地まで再訪した訳だが、いざ横浜薬科大学のキャンパス内に入るとご覧の通り、真正面にそびえるタワービルが存在感を放っている。 この横浜薬科大学というのも2006年に開学したばかりの新しい大学で、開学以来6年制の薬学部三学科(健康薬学科・漢方薬学科・臨床薬学科)のみ。 つまり卒業生もまだ3期生までしか卒業生が居ないという事になるのか…ピッチピチのキャンパスですね… 堂々と置かれた「建学碑」の碑文を読んで知ったのですが、福岡市に本拠地を置く全国屈指の巨大学校法人として有名な都築学園グループの経営だそうです。 何だかよく分かりませんが凄そうですね。 キャンパス内のメインストリートを突っ切るとその先にデデーンとそびえる旧ホテルエンパイア、もとい横浜薬科大学図書館棟の足元に辿り着く。 ホテル時代は「五重の塔」を思わせる桃山様式のゴテゴテのド派手な塔だったのだが、1995年にホテルが廃業してから長期間廃墟のまま放置されていた。 最上階を除いて特徴的な庇は落下の危険を防ぐ為に撤去されている。 恐らく現役時代は北海道芦別市にあった「北の京芦別」のホテル五重塔みたいなノリだったのかなあと想像するが、現在はその名残りも薄く、大学の図書館になっちゃってます。 それじゃあ中に入りますかね。 きっとホテルのロビーだったのだろうと思わせる建物一階部分のラウンジ。 今ではさすがに図書館っぽい趣きになっている。 ここがホテル時代に泊まった事のある人も、それはとうに20年以上前の記憶という事になる。 21階建てのタワーホテルとして建てられたはずのビルに僅か6人乗りの小さなエレベーターが2基しか付いていないというあり得なさ。 昭和40(1965)年開業のホテルという事もあって、設計基準的には今のものではない事は明らかだ。 案の定キャパシティに限りがあり行き帰りのエレベーター待ちが面倒である。 それでも一気に21階まで登ると、そこには開放感のある「展望ラウンジ」が姿を現す。 ここもホテル時代は「回転式の展望レストラン」があったらしいんですね。 もちろん今では撤去されていて跡形もない。 展望ラウンジからの眺め。 旧ドリームランドの敷地自体高台の上に建てられている為か、360度全て眺望良し。 東側を見ると快晴時には富士山もバッチリ眺められる。 この日は糞寒い冬の快晴で、かなり大気の透明度が高い状態だったため直線距離で約70キロ離れた富士山がくっきり見えて非常に素晴らしい。 こんな絶景を独占できる浜薬生がある意味羨ましくも思える。 普段は入れないし、特に夕方以降、夜景が見られる時間帯に一般人がまずここに来られるチャンスがない。 眼下に広がるのは横浜薬科大学キャンパスと俣野公園、そして神奈川県営及び横浜市営団地「ドリームハイツ」。 昭和39(1964)年の開園当初はこれら全ての土地が横浜ドリームランドだったが、早くも昭和45(1970)年には収支悪化し始め、敷地東側の4分の1を売却、その跡地が団地として整備されている。 ドリームハイツは横浜ドリームランドの部分売却後の敷地に昭和49(1974)年までの間に順次建設された合計23棟約2300戸の高層団地で、うち4棟が横浜市営、19棟が神奈川県営となっている。 この団地にも色々とストーリーがあるので、別の機会に詳しく紹介したい。 昭和58(1983)年に本家ディズニーランドが浦安に開園以降、入場者数はみるみる下降の一途を辿り、創業者・松尾國三の死後、泥沼の経営権争いの末に日本ドリーム観光は昭和63(1988)年に松尾家を支援していた中内功率いるダイエーに吸収、その後閉園の時までダイエーの子会社「ドリームパーク」によって運営される事になる。 当時のダイエーはイケイケドンドン状態で南海ホークスを買収するなどしていたものがバブル崩壊で資金繰りが悪化、新興のライバル施設に対抗する為の設備リニューアル費用に手が回らずアトラクションは陳腐化、すると後は弱って死ぬしかない…という流れになっていった。 一方の奈良ドリームランドもおおよそはこの流れで閉鎖しており、現在も無残な廃墟が現地に残されている。 横浜ドリームランドが2002年に閉園する直前には、開業当初の10分の1にまで敷地が縮小されていたという。 これぞ栄枯盛衰…巨大な「夢の残骸」を見ているようだ。 ちなみにバスロータリー前にあるローソンは、ダイエー傘下時に開店したもので、これも名残りと言えばそうらしいですよ。 エリアから記事を探す• 811• 216• 154• 101•

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「横浜ドリームランド」跡地に行ってみた。: 日々是洋々

横浜 ドリーム ランド 跡地

開園当初から1968年ごろまで運行していた園内をめぐる外周列車。 スポーツランド 西 側、おとぎの国 北 、冒険の国 東 側に駅が存在し、50人乗りで1. 4キロを一周しており、70年頃ドリームハイツ建設で敷地が削られたことにより廃止された。 敷地 奈良の外周列車は1067mmに対し、横浜の外周列車は軌間762mmのナローゲージである。 小田急だより 1964より。 展望台の上を通過する外周列車。 展望台の上に差し掛かる外周列車の様子 毎日グラフ 1966 公式園内マップより。 見た目の都合上、実際の設置とは逆向きのようだ。 1994年頃にはすでに描かれていない。 真ん中のMAPは90年頃までの使用。 先頭車両(SL は少なくとも2編成存在し、70年の運営終了後、1編成は展望台の上の休憩スペースとして飾られ、もう1編成は70年代子供の国のさらに西奥側 園外の一般道をはさみ、音楽隊の楽堂の前から見える位置 に置かれていたのがFBので確認できました。 ご協力:Akio Endo 様 1973年頃 1編成は下記のように横浜市内の保育園に現存しており、証言とタイミングから考えて、上記の後者 西奥側放置 のSLが幼稚園に渡ったものと推測しています。 軽油のにおいがしていた ドリーム開園当初は緑色だったが、展望台設置時代は黒い。 78~9年ごろに塗り替えられていたという話も。 滑り台を付けて遊具にし、トーマス色に青く塗っていた。 その後黒く塗りなおした。 現在は遊具としては利用しておらず、子供が入れないように覆っている。 数年前、五大路子さんの訪問時から変わらない状態。 今後何かをする予定もない様です。 当時、現在の外周列車については が詳しい。

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