加瀬和城氏。 電子書籍新刊情報

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加瀬和城氏

藤原は1年時から主力として活躍し、全国高校選手権優勝に貢献。 プロでも得意のヘディングと統率力を生かす。 会見では「レッズを世界的なチームにしたい」と大きな目標を掲げた。 「熱狂的なサポーターで知られているチームで輝けることが今から楽しみ。 新型コロナウイルスの影響で中断していたリーガだが、再開後は怒涛の展開となった。 R・マドリーは無傷の10連勝で、首位のバルセロナは6勝3分1敗で失速。 R・マドリーが圧巻の優勝劇を演じてみせた。 日本国内でも多くのファンがいるR・マドリー。 おめでとうございます」と喜びを語った。 初めて公表されたNFL関係者の検査結果で、選手会は7月10日の時点で多数の選手の陽性が確認されていたと明らかにした。 しかしながら、登録選手約2900人の中で検査を受けた具体的な人数や、検査の頻度については不明となっている。 NFLと選手会は現在、シーズン前のキャンプやプレシーズンゲームの諸条件に関する交渉が行き詰まっている。 選手会側はもっと時間をかけて感染防止対策に取り組むことや、8月のプレシーズンゲームを取りやめることを求めている。 警察官は感染した風俗業の女性の接客を受けていましたが市の連絡に対して客であることを否定し検査を拒否していました。 これは青森市の小野寺市長が会見を開いて説明したものです。 個人視聴率は5・4%だった。 本来なら4月9日にスタートする予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で初回放送が延期。 約3カ月遅れでのスタートとなったが、好発進した。 同枠としては2018年に7月期として放送され、俳優の山崎賢人(25)が主演を務めた「グッド・ドクター」の11・5%以来、7作ぶりの2桁スタートとなった。 個人視聴率は7・7%だった。 新型コロナウイルス感染拡大の影響で約2カ月遅れでのスタートとなった初回は平均世帯視聴率で17・0%を記録し、好発進。 第2話は14・8%、第3話と第4話はともに14・4%だった。 これで3週連続で同数字をマークし、好調を維持している。 木村の同枠での主演は2018年1月期に放送された同名ドラマの第1弾以来、約2年ぶり。 前シリーズでは初回を15・7%でスタートさせると、1度も13%を割ることなく、全9話の平均視聴率では15・2%と高数字をマーク。 巨人戦同一カード3連敗(長野、前橋、宇都宮)は、14年9月以来6年ぶり。 マツダスタジアムでは11年8月以来9年ぶり。 堂林翔太内野手(28)の4号2ランも白星につながらず、今季最多の借金4となった。 堂林の覚醒に喜び、チームの勝敗に肩を落とす日々が続く。 初回から3点劣勢の重苦しい展開で、ナインを鼓舞したのは、この日も堂林だった。 4回2死一塁で打席を迎え、一塁走者・鈴木誠が二盗に成功。 麻生副総理兼財務大臣が会長を務める麻生派は、16日夜、東京都内のホテルで政治資金パーティーを開き、二階幹事長や岸田政務調査会長、それに石破元幹事長らも出席しました。 この中で麻生氏は「今われわれは、変化に挑戦する勇気を持たなければならない。 政権をど真ん中でしっかり支えていきたい」と述べ、新型コロナウイルス対策などで安倍政権を支える考えを強調しました。 私の夫、赤木俊夫は決裁文書を改ざんしたことを悔やみ、自ら人生の終止符を打ちました。 2018年3月7日のことです。 夫は震える手で遺書や手記を残してくれました。 私は夫の死後2年経過した2020年3月18日、やっと遺書や手記を公表しました。 そして、同じ日に夫が自ら命を絶った原因と経緯を明らかにし、夫と同じように国家公務員が死に追い詰められることがないようにするため、そして、事実を公的な場所で説明したかったという夫の遺志を継ぐため、国と佐川さんを訴えるところまで進みました。 Twitterはこの件についてまだ調査中だ。 15日に発生したこの問題について、Twitterは午後8時ごろにツイートで、攻撃者は内部システムとツールへのアクセス権限を持つ従業員の一部を標的とした組織的なソーシャルエンジニアリング攻撃を仕掛け、獲得した権限で著名人のアカウントとツイートを悪用したと発表した。 16日正午ごろツイートした経過報告では、攻撃者がパスワードにアクセスした証拠はなく、乗っ取られたアカウントのパスワードを再設定する必要はないとしている。 だがその一方、トランプ大統領は同じ晩さん会で、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長とはうまくやっていると自慢をしたとのことだ。 ラリー・ホーガン米メリーランド州知事は16日(現地時間)、米紙ワシントン・ポストへの寄稿文で、2月7日にワシントンD. で共和党州知事協会が主催したトランプ大統領との晩さん会で、このような発言があったと主張した。 市教育委員会は「危険な行為だった」として同校を指導。 学校側は16日、児童や保護者に謝罪した。 同校によると、放水路付近に浸水被害を防ぐポンプ場があり、14日朝から稼働していたため、放水路沿いを歩いてポンプ場を見学した。 イギリス南西部ブリストルで先月、人種差別に抗議するデモが行われた際、17世紀の奴隷商人の像が引き倒されて川に投げ込まれ、その後、台座が残されていました。 今月15日に、こぶしを突き上げている女性の像が、制作したアーティストによって、この台座の上に設置されましたが、ブリストル市は16日、設置されてから、わずか1日で撤去したことを明らかにしました。 制作したアーティストは、この像は奴隷商人の像が引き倒されたあと、台座にあがってこぶしを突き上げた女性をモデルにしていると説明していました。 伊藤寿裁判長は「身勝手な運転で命が奪われた被害結果は重大」として懲役8年(求刑懲役9年)の判決を言い渡した。 【写真】誠実な息子は飲酒運転に奪われた 判決によると、被告は昨年10月4日午前4時25分ごろ、右京区の制限速度50キロの道路で乗用車を酒気帯び運転し、車を制御することが困難な時速135〜140キロで走行して対向車線にはみ出し、近くにいた同市右京区の会社員男性(当時39)をはねて死亡させた。 続きを: : [] :[] :[] 2020年7月13日 実施時期:2020年6月1日〜3日 LINE株式会社 【LINEリサーチ】タイムトラベルしたい時代、男女ともに「昭和」と「平成」が圧倒的人気 年代別では40? 50代は「昭和」、10? 蚊による世界の死者は、年間で数万人も出ています。 その対策として、血を吸うメスの蚊をオスに性転換させる方法が模索されていました。 2015年には、オスのみに伝わる「Nix遺伝子」が、蚊の性別をオスに決定付けることが分かっています。 警察官は感染した風俗業の女性の接客を受けていましたが市の連絡に対して客であることを否定し検査を拒否していました。 これは青森市の小野寺市長が会見を開いて説明したものです。 続きを: : [] :[] :[] ラ・リーガ第37節が16日に行われ、マジョルカとグラナダが対戦した。 マジョルカは今節の結果次第では降格が決まる状況で迎えた一戦。 久保建英は右ウィングで13試合連続の先発出場を飾った。 試合は20分、マジョルカがカウンターから先制。 クチョ・エルナンデスが左サイドを疾走すると、最後はカットインから右足を振り抜き、ネットを揺らした。 40分にはグラナダが右サイドからのクロスで決定機。 マジョルカDFのクリアがゴールへと向かうが、右ポストに救われ、マジョルカは肝を冷やす。 しかし、前半終了間際にゴラッソ。 左サイドからのクロスのこぼれ球をグラナダDFビクトル・ディアスが右足で豪快にニアへと突き刺し、1-1で前半を終える。 続きを: : [] :[] :[] 検討中の大統領令は、2017年のイスラム教を中心とするいくつかの国の旅行禁止で使用された移民国籍法の同じ法律に基づくものです。 トランプ政権は中国共産党のメンバーとその家族による米国への渡航の全面禁止を検討している、と提案に精通している人々によると、中国への進入または留置を求めるアメリカ人に対する報復をほぼ確実に促す動きだそして、両国間の緊張を悪化させる。 大統領の布告は、まだ草案のままであり、米国政府がすでに同国にいる党員とその家族のビザを取り消すことを承認し、追放につながる可能性があります。 人民解放軍のメンバーと国有企業の幹部による米国への旅行を制限することも目的とする言葉がいくつかありますが、それらの多くは党員である可能性があります。 続きを: : [] :[] :[] ついに、マスクが色とりどりに光るようになった。 通信関連機器の輸出販売を手掛けるタカインターナショナル(東京都世田谷区)は、「七色に輝く光るマスク〜レインボーマスク〜」を2020年7月15日に販売サイトで発売した。 マスク内部にLEDが内蔵されており、スイッチを入れるとカラフルに発光する。 ナイロン部分にシート状の光ファイバーが仕込まれており、付属のスイッチを入れると光る仕組みだ。 タカインターナショナルの担当者に取材すると、マスクは小さいサイズが40グラム、大きいサイズでも45グラムと軽く、着用時に負担がかかることはないと説明した。 蚊による世界の死者は、年間で数万人も出ています。 その対策として、血を吸うメスの蚊をオスに性転換させる方法が模索されていました。 2015年には、オスのみに伝わる「Nix遺伝子」が、蚊の性別をオスに決定付けることが分かっています。 50代は「昭和」、10? 上皇さまによる新種発見は9種目で、2003年以来17年ぶり。 退位後初めての研究成果で、関連する論文は年内にも発表される見通し。 関係者によると、今回の新種は10年以上前に上皇さまの研究スタッフが沖縄近海で採集したオキナワハゼ属のハゼ。 上皇さまが頭部にある感覚器の配列の数やパターンなどを調べ、新種と突き止められた。 すでに名前も決められたという。 在位中は多忙だったため、昨年4月末の退位後に本格的に論文の執筆を始められた。 上皇さまは皇太子時代の1960年代からハゼの分類学の研究を始められた。 小倉の進退を巡っては、五輪に思い入れが強い本人の申し出により、東京五輪の放送を花道として、今秋に勇退というプランがあったようだが、コロナ禍で五輪が1年延期となり、タイミングを逸してしまったという。 1999年の番組開始から20年以上、同番組の顔だった小倉だが、2年前の膀胱がんの手術以降は、健康面での不安を抱え、持ち味だった辛口トークも以前ほどの切れ味はなくなっていた。 警察官は感染した風俗業の女性の接客を受けていましたが市の連絡に対して客であることを否定し検査を拒否していました。 これは青森市の小野寺市長が会見を開いて説明したものです。 男性は左まぶたなどに約2週間のけがを負った。 上尾署が強盗致傷事件として捜査。 同署によると、男らはいずれも20代で、身長165〜170センチ。 「いい気になってんじゃねーよ」などと言ってバッグを奪い、徒歩で逃走したという。 現場はJR北上尾駅から約200メートル、県立上尾高校近くの住宅街。 以下ソース:埼玉新聞 2020年7月16日 木。 イギリス南西部ブリストルで先月、人種差別に抗議するデモが行われた際、17世紀の奴隷商人の像が引き倒されて川に投げ込まれ、その後、台座が残されていました。 今月15日に、こぶしを突き上げている女性の像が、制作したアーティストによって、この台座の上に設置されましたが、ブリストル市は16日、設置されてから、わずか1日で撤去したことを明らかにしました。 制作したアーティストは、この像は奴隷商人の像が引き倒されたあと、台座にあがってこぶしを突き上げた女性をモデルにしていると説明していました。 マジョルカは今節の結果次第では降格が決まる状況で迎えた一戦。 久保建英は右ウィングで13試合連続の先発出場を飾った。 試合は20分、マジョルカがカウンターから先制。 クチョ・エルナンデスが左サイドを疾走すると、最後はカットインから右足を振り抜き、ネットを揺らした。 40分にはグラナダが右サイドからのクロスで決定機。 マジョルカDFのクリアがゴールへと向かうが、右ポストに救われ、マジョルカは肝を冷やす。 しかし、前半終了間際にゴラッソ。 左サイドからのクロスのこぼれ球をグラナダDFビクトル・ディアスが右足で豪快にニアへと突き刺し、1-1で前半を終える。 記事は、同省プーアル市が9日に「ラオスとの国境にある江城県で大規模なバッタの襲来が発生し、周辺地域に広がりつつある」とし、拡散防止に努めていると発表したことを伝えた。 そして、同市の林業局や草原局が現地にドローンを派遣して薬剤を噴霧するなどの措置をとるとともに、専門家が現地に赴いて拡散抑止対策の指揮をとっていると紹介。 8日現在で同市で観測されたバッタの活動区域は約6700ヘクタールに及び、延べ502機のドローンが出動したとしている。 17歳11カ月での初タイトルの獲得は、90年に屋敷伸之九段(48)が作った18歳6カ月のタイトル獲得最年少記録を30年ぶりに更新した。 敗れた渡辺明2冠は、対局後、19歳年下の藤井七段の強さについて目を細めながら感想を語った。 郡和子仙台市長は14日の定例記者会見で、国の消費支援策「Go To キャンペーン」の観光割引が22日に始まることに懸念を表明した。 当初は8月上旬ごろとされた開始時期が早まり「前倒しの判断には、いささか思いがある」と疑問を呈した。 郡市長は「観光業の厳しさは十分に承知している。 コロナ疲れではないが、旅行したい国民の気持ちも分かる」とキャンペーンの背景に理解を示しつつ、感染が再拡大する中で実施する効果には首をかしげた。 トランプ政権は中国共産党のメンバーとその家族による米国への渡航の全面禁止を検討している、と提案に精通している人々によると、中国への進入または留置を求めるアメリカ人に対する報復をほぼ確実に促す動きだそして、両国間の緊張を悪化させる。 大統領の布告は、まだ草案のままであり、米国政府がすでに同国にいる党員とその家族のビザを取り消すことを承認し、追放につながる可能性があります。 人民解放軍のメンバーと国有企業の幹部による米国への旅行を制限することも目的とする言葉がいくつかありますが、それらの多くは党員である可能性があります。 落書きが見つかったのは御嵩町にある願興寺です。 国の重要文化財に指定されている本堂は、平成29年から10年をかけて解体修理が行われていますが、去年8月、本尊の後ろの壁から神奈川県鎌倉市にある「玉縄」や現在の栃木県の「下野国」など、地名とみられる落書きが見つかりました。 また、織田信長が活躍した「天正六年(1578年)」の文字もあり、落書きは400年以上前に書かれたとみられます。 工事を監修している文化財建造物保存技術協会によりますと、近くの街道を行き交う旅人が寺に立ち寄った記念に書いたのではないかということです。 初体験の年齢を明かす場面があった。 自身のTwitterで質問を募集していた手越は、続々とフォロワーたちの疑問に回答。 「初体験は何歳ですか?」という質問では「デビューはしてる(年齢)。 芸能界には入ってます。 芸能界デビューが15歳と1ヶ月かな。 その後です」と告白した。 その後撮影スタッフから詳しく問い詰められると、「シックスティーン(16歳)!」と暴露。 「NEWSになって半年後くらい。 NEWSにいる前は男子校にいたんです。 NEWSになったのが高1で、高2から堀越学園に編入してはじめて男子校じゃないところに行ったんです。 逮捕容疑は、16日午後8時20分ごろ、JR六甲道駅北側の路上で、近くに住む会社員男性(57)を投げ飛ばすなどの暴行を加え、左肘に軽傷を負わせた疑い。 同署によると、男は立ち小便をしたことを注意された際、男性の足をはらって押し倒し、押さえつけたという。 2人に面識はなく、男は「腹が立ったので押し倒した」などと容疑を認めているという。 10月に欅坂46としてのラストライブを行う。 今年1月に象徴的存在だった平手友梨奈(19)が脱退して半年。 節目を迎えたタイミングで、大きな決断を下した。 ライブ終盤、「ガラスを割れ!」を歌い終えると、キャプテン菅井友香(24)が「ここで、私たちから皆さまにお伝えしたいことがあります。 私たち欅坂46は、この5年間の歴史に幕を閉じます。 そして欅坂46とは前向きなお別れをします。 10月に予定している欅坂としてのラストライブにて、活動に区切りをつけさせていただきます。 ソラ豆は、今年4月上旬に新型コロナウイルスに感染し入院。 アビガンを処方され陰性となり入院から21日目の4月24日に退院した。 一方、退院後もツイッターで「肺が苦しくて」などとつづっていた。 こうした後遺症とみられる症状を「息がしていても、どうしても肺が苦しくて夜、眠れない。 16 19:12将棋の高校生棋士、藤井聡太七段(17)が渡辺明棋聖(きせい)(36)=棋王・王将=に挑戦していたタイトル戦「第91期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負」(産経新聞社主催)の第4局が16日午前9時から、大阪市福島区の関西将棋会館で指され、後手の藤井七段が勝ち、シリーズ3勝1敗で初タイトルとなる棋聖位を獲得した。 17歳11カ月でのタイトル獲得は、屋敷伸之九段(48)が持つ最年少記録(18歳6カ月)を30年ぶりに更新。 田中みな実超え? できるか? 女優業本格進出を宣言(東スポWeb) - Yahoo! で、みな実に勝つ! 本紙の直撃に応じ「演劇の世界に魅了されてしまいました」と女優業への本格進出を宣言。 局アナから女優転身といえばテレビ朝日のドラマ「M 愛すべき人がいて」での? が好評だった元TBSアナウンサー・田中みな実 33 がいる。 警察官は感染した風俗業の女性の接客を受けていましたが市の連絡に対して客であることを否定し検査を拒否していました。 これは青森市の小野寺市長が会見を開いて説明したものです。 飯田市上郷黒田のキュウリ農家中村信治さんは、先月5日、5棟のハウスで育てているキュウリに農薬をまいた後、葉が黄色く変色しているのに気が付きました。 中村さんは「消毒をして1時間もしないうちに葉っぱがおかしいと気づいた。 その日の夕方には色が抜け出して、3日後には黄色く枯れてしまった」と当時を振り返ります。 その後、JAの担当者が確認したところ、ハウスの横のタンクに入っていた害虫を防ぐための農薬から、除草剤の成分が検出されたということです。 巨人戦同一カード3連敗(長野、前橋、宇都宮)は、14年9月以来6年ぶり。 マツダスタジアムでは11年8月以来9年ぶり。 堂林翔太内野手(28)の4号2ランも白星につながらず、今季最多の借金4となった。 堂林の覚醒に喜び、チームの勝敗に肩を落とす日々が続く。 初回から3点劣勢の重苦しい展開で、ナインを鼓舞したのは、この日も堂林だった。 4回2死一塁で打席を迎え、一塁走者・鈴木誠が二盗に成功。 逮捕されたのは名東区上菅の無職・横山靖夫容疑者(62)です。 横山容疑者は16日午後4時半ごろ、自宅の駐車場で面談に訪れた区役所の女性職員(50)を押し倒すなどした公務執行妨害の疑いがもたれています。 女性職員は押し倒されたはずみで軽いケガをしたとみられています。 警察によりますと女性職員は、生活保護に関する定期面談のため1人で横山容疑者の自宅を訪問していて、暴言を吐かれるなどしたため、駐車場に逃げたところ被害に遭ったということです。 芸能界引退によって迷宮入りするかに見えた木下優樹菜(32才)の引き際の様子が徐々に明らかになりつつある。 「ユッキーナは、不倫相手だった30代男性ミュージシャンAさんに対する強い想いが抑えきれなかったようです」(木下を知る関係者) フジモンこと藤本敏史(49才)と結婚していた頃に不倫関係になったAさんとは、「タピオカ騒動」を経て、離婚が成立してからも関係がバレないように密かに愛を育んできた。 どうやら木下の所属事務所さえ把握していなかったようだ。 「彼女が描いたシナリオはこうです。 新型コロナウイルスの感染者数が多い東京都を発着する旅行を対象から外す。 首相官邸で安倍晋三首相らと協議し確認した。 赤羽国交相が面会後、記者団に明らかにした。 「現下の感染状況を鑑み、東京都を目的とする旅行、東京都に居住する方の旅行を対象から外す」と述べた。 同日に開く分科会で専門家の評価を受けて最終判断する。 各地の首長からは事業の全国一律の開始などに疑問を示す声が上がっていた。 東京都の小池百合子知事は国に対し「実施時期や方法などについて改めてよく考えていただきたい」と呼びかけた。 自ら命を絶った木村花さん(享年22)の母・響子さん(43)が、7月15日、BPO(放送倫理・番組向上機構)に対し、放送による人権侵害があったとして審議を申し立てたことが、「週刊文春」の取材で分かった。 自殺の原因となったのは3月31日にNetflixで配信された第38話「コスチューム事件」。 花さんが同居人の帽子をはたくシーンが流れ、花さんのSNSに誹謗中傷が殺到した。 配信当日、精神的に追い詰められた花さんが自殺未遂を起こしたにもかかわらず、フジは5月14日にYouTubeで「コスチューム」事件の続編(未公開映像)を3本立て続けに公開し、5月23日には地上波で本編を放送した。 この日、同舞台に出演したダンスボーカルグループ「H5」のK(34)の陽性が判明した。 神奈川で観客6人が陽性と発表されたほか、千葉など各地で観客の陽性が分かり、前日15日時点の出演者・スタッフ・観客の計59人からさらに増加し、少なくとも77人にのぼっている。。

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中岡創一:ガイドミー!

加瀬和城氏

(写真提供:JP News) 28日放送の『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)では、同番組の海外ロケを支えてきた、名物コーディネーターが出演。 新型コロナウイルス感染拡大による深刻な状況が明かされた。 新型コロナウイルスの影響で仕事がなくなり、現在は地元である栃木県にて、アルバイト生活を送っていることが明らかに。 この事実に、中岡も思わず「大変なんや…」と絶句。 コスタリカを拠点に活動する加瀬氏だが、厳しい入国制限などにより、入国が許されない状況が続いているという。 幅わずか5センチほどのくねくね道が中岡の挑戦を阻み、番組を大いに盛り上げた。 さらには、独特なキャラクターを持つ加瀬氏は、その後「タレント」として中岡と一緒に一部企画に挑戦。 体を張った場面では爆笑も沸き起こった。 そうした中、「仕事ない加瀬さんにオファーするイッテQいいなあ」と、これまで番組を支えてきた加瀬氏に仕事を依頼した番組の対応を称賛する声も。 また、「イッテQの加瀬さんおもしろい あのキャラ好き」「毎回出てほしい」など、独特なキャラクターが評判となり、今後も出演者としての登場を待望する声も相次いでいる。 ちなみに、しらべぇ編集部が全国の10代〜60代の男女1,880名を対象に実施した意識調査では、全体で約8割もの人が「新型コロナが憎い」と回答している。 まだ海外への渡航は厳しく、看板企画であるイモトのワールドツアーも、国内版に切り替えた新企画をスタートさせた同番組。 今後も国内ロケにて、加瀬氏のタレントとしての登場にも期待したい。 (文/しらべぇ編集部・) 【調査概要】 方法:インターネットリサーチ「」 調査期間:2020年4月24日〜2020年4月27日 対象:全国10代〜60代の男女1,880名(有効回答数) ().

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加瀬和城氏

大 オ 信州の大日方氏はオヒナタと称す、大和氏はオワと称す。 野州の大貫氏はオヌキと称す。 オオ(オホ)はオと発音される。 阿 オ 歌舞伎の創始者出雲の阿国(おくに)など、阿はオと読む。 大ノ国(後の百済)からの渡来集団を阿部(おべ)と称し、のちにアベと称された。 青垣(おおがき)、青鳥(おおとり)、青野(おおの)等の青(大)は、アオと読まれた。 尾 オ 大宮に存す。 大芦 オアシ 島根県松江市 に九戸あり。 オオアシ参照。 尾芦 オアシ 草加、所沢、鳩ヶ谷、大宮に存す。 長野県小県郡丸子町 十戸あり。 小穴 オアナ 熊谷、東松山、草加、吉川、鴻巣、上福岡、杉戸、浦和、上尾、大宮等に存す。 長野県南安曇郡豊科町 百戸、 松本市 四十八戸あり。 コアナ参照。 尾井 オイ 越谷に存す。 尾家 オイエ 熊谷に存す。 笈掛 オイカケ 志木、新座、桶川に存す。 老影 オイカゲ 秩父郡横瀬村字老影。 生形 オイカタ 岩手県大船渡市 十戸あり。 ウブカタ、オボカタ参照。 生川 オイカワ 男衾郡小江川村( 江南町 )は老川ノ郷、或いは生河ノ郷とも記す。 高文書に「正平七年二月六日、高尾張権守師業領知、生河郷・戸森郷・小江郷」と見ゆ。 一 埼玉郡屈巣村( 川里町 ) 明治九年副戸長生川小左衛門・天保三年生あり。 当村に五戸現存す。 老川 オイカワ 前条参照。 一 埼玉郡増戸村( 春日部市 ) 神明社明治中期碑に老川豊之助・老川源四郎・老川末之助・老川多七。 明治三十年人名録に老川豊之助・嘉永五年生・地租五十二円、真影流剣士老川源四郎・天保四年生・地租三十五円あり。 二 足立郡三条町 村(大宮市) 当村に此氏多く存す。 当村宝暦七年庚申塔に三条町村老川市右衛門。 鈴谷村金毘羅堂天保五年水鉢に三条町村老川弥右衛門。 明治九年副戸長老川喜三郎・文化十二年生あり。 三 同郡飯田村(大宮市) 足立神社明治四十三年碑に老川芳之助・老川貞次郎・老川新吉・老川伝右衛門あり。 四 同郡島根村(大宮市) 円阿弥村日枝社慶応二年算額に島根・老川伝蔵。 氷川社明治二十六年碑に老川源太郎あり。 及川 オイカワ 〇 茨城県日立市 六十八戸、 ひたちなか市 二十九戸。 〇 千葉県香取郡多古町 二十三戸、 匝瑳郡野栄町 十五戸、 八日市場市 二十五戸、 市原市 三十三戸。 〇 宮城県柴田郡柴田町 五十六戸、 宮城郡松島町 二十八戸、 利府町 二十五戸、 黒川郡富谷町 五十戸、 桃生郡河南町 五十戸、 河北町 三十戸、 桃生町 二十戸、 矢本町 百戸、 本吉郡歌津町 百六十戸、 志津川町 百戸、 津山町 二十戸、 本吉町 二百戸、遠田郡 小牛田町 六十戸、 涌谷町 五十戸、 栗原郡若柳町 三十戸、 登米郡迫町 百六十戸、 石越町 二十戸、 東和町 二百戸、 豊里町 五十戸、 中田町 二百五十戸、 南方町 四十戸、 米山町 五十戸、 塩釜市 九十戸、 多賀城市 八十戸、 岩沼市 四十七戸、 気仙沼市 二百戸、 石巻市 二百八十戸。 〇 岩手県西磐井郡花泉町 百十戸、 東磐井郡千厩町 七十戸、 大東町 三百四十戸、 藤沢町 百六十戸、 室根村 六十戸、 岩手郡滝沢村 五十戸、 紫波郡紫波町 三十戸、 矢巾町 二十戸、 胆沢郡胆沢町 九十戸、 金ヶ崎町 三百五十戸、 前沢町 百二十戸、気仙郡三陸町八十五戸、 上閉伊郡大槌町 二十二戸、 和賀郡東和町 八十五戸、 一関市 百六十戸、 水沢市 九百戸、 江刺市 千戸、 大船渡市 百七十戸、 陸前高田市 百六十戸、 遠野市 百二十戸、 花巻市 二百戸、 北上市 六百八十戸あり。 一 粕壁町 春日部稲荷社明治四十三年鳥居碑に及川久之助あり。 笈川 オイカワ 千葉県君津市 二十四戸。 一 埼玉郡今 泉村 ( 羽生市 ) 羽生城主木戸氏家臣にて、字との内に居住し、代々名主を勤む。 長光寺過去帳に「茂山浄繁禅定門・及川主計・承応元年没」。 同寺嘉永三年常夜燈に及川徳七郎(名主)あり。 今は笈川を称す。 二 同郡喜右衛門新田( 羽生市 ) 今 泉村 長光寺嘉永三年常夜燈に神島村及川岩五郎。 八幡宮文久二年小御嶽碑に笈川喜左衛門あり。 追川 オイカワ 各市町村に存す。 群馬県群馬郡榛名町 八戸、 倉渕村 十七戸あり。 小井川 オイカワ 足立郡上木崎村 (浦和市)に存す。 下木崎村秋葉社宝暦九年六地蔵尊に小井川七兵衛。 上木崎村足立神社嘉永二年幟碑に上木崎村小井川伊三郎、明治四十四年碑に上木崎村小井川長吉あり。 コイカワ参照。 尾井川 オイカワ 吉川に存す。 生木 オイキ 埼玉郡江ヶ崎村( 蓮田市 )久伊豆社文久三年水鉢に当所生木惣五郎、明治三十九年碑に生木熊蔵あり。 及木 オイキ 春日部、川越、大宮に存す。 老木 オイキ 大宮に存す。 追木 オイキ 川越に存す。 宮城県柴田郡川崎町 三十戸あり。 追切 オイキリ 青森県八戸市 九戸あり。 笈口 オイクチ 岩手県岩手郡岩手町 八戸あり。 老久保 オイクボ 青森県三戸郡三戸町 十八戸、 八戸市 八戸あり。 追久保 オイクボ 三郷に存す。 岩手県九戸郡山形村 七戸あり。 小池 オイケ 足立郡下石戸 上村 字小池あり、オイケと註す。 浦和に存す。 尾池 オイケ 群馬県山田郡大間々町 二十戸、 勢多郡黒保根村 四十八戸、 新里村 十三戸、 桐生市 二十九戸あり。 一 児玉町 明治三十五年糸繭商尾池倉之助あり。 老子 オイコ 蕨に存す。 生越 オイコシ 東松山、深谷、小川、所沢、上福岡、川越、川口、浦和、上尾、大宮、与野等に存す。 オコシ参照。 老崎 オイザキ 越谷に存す。 生石 オイシ 秩父郡品沢村字生石あり。 尾石 オイシ 秩父郡皆谷村( 東秩父村 )天保十二年大日尊に尾石八衛門・尾石浅八。 字朝日根元治二年庚申塔に尾石儀兵衛・尾石龍蔵あり。 六戸現存す。 男石 オイシ 草加に存す。 追杉 オイスギ 上福岡に存す。 生田 オイタ 生越に存す。 イクタ参照。 老田 オイタ 羽生、草加、八潮、入間、杉戸、川口、浦和等に存す。 茨城県下館市 九戸あり。 笈田 オイタ 岩槻、川越、川口に存す。 追田 オイタ 越谷、川越等に存す。 種田 オイタ 入間、坂戸、狭山に存す。 尾板 オイタ 信州木曽御嶽山清滝不動尊弘化四年碑に武州幡羅郡堀米村尾板弥右衛門あり。 深谷市 堀米に無し。 生平 オイダイラ 川越に存す。 岩手県久慈市 三十六戸あり。 老平 オイダイラ 草加、春日部、所沢等に存す。 老竹 オイタケ 深谷に存す。 追立 オイタテ 埼玉郡向古河村字追立あり。 入間、所沢、新座等に存す。 老谷 オイタニ 草加に存す。 生地 オイチ 越谷に存す。 老地 オイチ 忍城士にて、比企郡 山田村 ( 滑川町 )贄田家所蔵の永禄元年成田佐衛門佐家中之覚に「七十貫・老地隼人」あり。 当地方に現存無し。 尾市 オイチ 浦和に存す。 老月 オイツキ 入間、鴻巣、幸手、大宮等に存す。 追着 オイツキ 春日部に存す。 小泉 オイヅミ 浦和に存す。 尾泉 オイヅミ 富士見に存す。 追泉 オイヅミ 越谷に存す。 生出 オイデ 埼玉郡生出村( 大利根町 )あり。 入間郡竹間沢村字生出窪あり。 越谷、川本、三郷、八潮、秩父、所沢、日高、宮代、川口、浦和、戸田、新座等に存す。 栃木県芳賀郡市貝町 八戸、 河内郡上三川町 五戸、 宇都宮市 十八戸、 宮城県桃生郡雄勝町 十七戸、 石巻市 二十三戸あり。 尾出 オイデ 川口に存す。 追出 オイデ 埼玉郡吉羽村字追出あり。 追手 オイデ 川口に存す。 生出塚 オイデヅカ 足立郡生出塚村 ( 鴻巣市 )あり、生根塚、追根塚とも書き、オイネヅカと称す。 桶川宿府川文書に明治十一年・生出塚孫兵衛と見ゆ。 現存無し。 生出塚の孫兵衛か。 追留 オイトメ 鳩ヶ谷に存す。 追鳥 オイトリ 富士見に存す。 追中 オイナカ 川口に存す。 生沼 オイヌマ 各市町村に存す。 栃木県河内郡上三川町 十八戸、 南河内町 十四戸、 小山市 三十七戸、 茨城県猿島郡三和町 四十一戸、 総和町 十六戸、 東京都日野市 四十四戸あり。 老沼 オイヌマ 群馬県邑楽郡板倉町 十九戸、 栃木県下都賀郡野木町 二十二戸、 東京都町田市 二十七戸あり。 一 入間郡竹間沢村( 三芳町 ) 竹間神社天保十一年水鉢に老沼増五郎。 泉蔵院明治二十九年碑に老沼作兵衛・老沼彦太郎あり。 二 榛沢郡 寄居町 昭和三年興信録に「 寄居町 ・老沼伊三郎・所得税十三円・営業税四十二円」あり。 笈沼 オイヌマ 幸手町明治三十五年糸繭綿商福田屋笈沼吉五郎あり。 追沼 オイヌマ 川口に存す。 小井沼 オイヌマ 入間に存す。 栃木県下都賀郡藤岡町 四十五戸あり。 コイヌマ参照。 生野 オイノ 草加、鳩ヶ谷、新座に存す。 栃木県小山市 五戸あり。 ナマノ参照。 老野 オイノ 入間郡前久保村字オイノ久保及び川角村字オイノ宮( 毛呂山町 )は同所なり。 また、小田谷村字オイノ久保( 毛呂山町 )あり。 長野県大町市 十四戸あり。 一 児玉党の一族にて、米良文書に「児玉の在所の御名字の事。 あきば・おこせ・おひ野・あおふた・せうたい」と見ゆ。 越生郷の近村川角村字オイノ宮より起るか。 或いは小見野の訛りか。 追野 オイノ 越谷、所沢、鳩ヶ谷に存す。 生橋 オイハシ 足立郡道場村字生橋。 及原 オイハラ 宮城県栗原郡志波姫町 九戸あり。 生平 オイヒラ 川口に存す。 老平 オイヒラ 春日部、大宮等に存す。 覆平 オイヒラ 川口に存す。 老袋 オイブクロ 比企郡老袋村( 川越市 )あり。 当村江田氏は老袋氏を称す。 江田家譜に「老袋村名主江田善右衛門・天正二年没、老袋善右衛門と言ふ」と見ゆ。 及部 オイベ 大宮に存す。 生松 オイマツ 入間、久喜、新座等に存す。 新潟県三条市 六戸あり。 老松 オイマツ 八潮、川越、富士見、朝霞等に存す。 秋田県大曲市 十九戸、 鳥取県境港市 八戸あり。 老本 オイモト 行田に存す。 生山 オイヤマ 草加、妻沼、所沢、浦和等に存す。 山梨県韮崎市 三十一戸あり。 老山 オイヤマ 伊奈に存す。 笈入 オイリ 浦和に存す。 追分 オイワケ 足立郡箕田村 字追分あり。 東松山、越谷、草加、入間、上尾、大宮等に存す。 尾上 オウエ 各市町村に存す。 尾宇江 オウエ 川口、蕨等に存す。 追貝 オウガイ 児玉党にて、上野国利根郡追貝村( 利根村 )より起る。 米良文書に「児玉の在所の御名字の事、くらかの、平、おはた、おうかい、かたやま、しらくら」と見ゆ。 扇 オウギ 新座、上福岡、川越、越谷、川口、桶川、与野等に存す。 扇子 オウギ 上尾に存す。 黄木 オウギ 新座、川口、川越、上福岡等に存す。 山形県天童市 四十三戸あり。 扇浦 オウギウラ 新座に存す。 扇河岸 オウギガシ 入間郡扇河岸村( 川越市 )あり。 扇谷 オウギガヤツ 比企郡大谷村字扇谷あり。 オウギヤ参照。 扇久保 オウギクボ 入間郡黒山村字扇久保あり。 扇沢 オウギサワ 秩父郡風布村字扇沢。 往岸 オウギシ 鷲宮に存す。 扇田 オウギダ 入間郡鶴馬村字扇田、北田島村字扇田、片柳村字扇子田あり。 上尾、越谷等に存す。 扇原 オウギハラ 秩父郡三沢村( 皆野町 )に此氏多く存す。 扇町屋 オウギマチヤ 入間郡扇町屋村( 入間市 )あり。 扇谷 オウギヤ 上尾、大宮、鷲宮に存す。 一 埼玉郡 騎西町 明治三十五年菓子商扇谷キウ・瓦製造扇谷音次郎あり。 二 同郡 鷲宮町 昭和三年興信録に「鷲 宮村 ・扇谷熊太郎・所得税三十六円・営業税四十七円」あり。 明治二十二年に鷲 宮村 、葛梅村、上内村等と合併して新しい鷲 宮村 となる。 葛梅、上内に此氏現存す。 扇柳 オウギヤナギ 新座に存す。 扇山 オウギヤマ 越谷に存す。 黄倉 オウクラ 入間に存す。 往古 オウコ 蓮田、和光等に存す。 茨城県龍ヶ崎市 八戸あり。 横後 オウゴ 千葉県銚子市 十二戸あり。 逢坂 オウサカ 青森県東津軽郡平内町 八戸、 青森市 二十六戸、 新潟市 八戸あり。 オオサカ参照。 一 川越藩秋元氏家臣 明治四年館林藩士族帳に「六両二人扶持・逢坂伝」。 縫坂 オウサカ 上尾に存す。 王子田 オウジタ 川口、川越、浦和等に存す。 奥州 オウシュウ 秋田県平鹿郡十文字町 十三戸あり。 逢正 オウショウ 大宮に存す。 応請 オウセイ 川口に存す。 纓田 オウタ 大宮に存す。 小内 オウチ 蕨、浦和等に存す。 オナイ、コウチ参照。 尾内 オウチ 志木、越谷、八潮、所沢、川越等に存す。 オナイ参照。 黄地 オウチ 毛呂山、幸手、所沢、上福岡等に存す。 応手 オウテ 浦和に存す。 縫野 オウノ 三芳、所沢等に存す。 黄野 オウノ 千葉県香取郡大栄町 九戸。 皇野 オウノ 葛飾郡金杉村 ( 松伏町 )明治五年副戸長皇野次郎兵衛あり。 現存無し。 黄幡 オウハタ 浦和に存す。 王前 オウマエ 浦和、新座等に存す。 王丸 オウマル 所沢、上尾等に存す。 青海 オウミ 川口に存す。 縫見 オウミ 川越に存す。 近美 オウミ 狭山、朝霞等に存す。 近江 オウミ 栃木県河内郡河内町 十戸、 宮城県柴田郡川崎町 十五戸、 秋田県平鹿郡雄物川町 十戸、 南秋田郡五城目町 九戸あり。 オオミ参照。 一 古尾谷氏族近江氏 風土記稿入間郡古谷上村(川越市)条に「善仲寺、古過去帳に当寺開基古谷院安養無着居士・応永六癸卯十二月二十八日古尾谷近江太郎信秀とあり」と。 応永六年は己卯なり。 入間郡誌に「古谷村善仲寺は安養山という。 安養は古尾谷の近江小太郎信秀の法名なり、信秀法謚を古谷院安養無着という、応永六年十一月二十八日没す」と。 芳野村郷土誌稿に「鴨田村神光寺裏に陣ヶ山あり、近江小太郎信秀の家臣中筑後守資信が住める時、同地方はその領地に属していたため、その家臣が来て統治していた所と伝える。 近江小太郎信秀は古尾谷刑部大輔入道の男なり」と見ゆ。 二 中姓近江氏 入間郡 三ヶ島村 ( 所沢市 )の中氏先祖書に「武蔵国古谷城主仲筑後守資信嫡男、近江太郎資高。 古尾谷城主仲筑後守資信、応永年中落城、禅仲寺者城跡也。 右牌有之、古谷院殿安養無寂大居士・古谷仲筑後守藤原資信、安養院殿怡岩善仲大居士・古谷仲近江太郎藤原資高」と見ゆ。 是に依れば、近江太郎の本名は中氏なり。 中氏参照。 三 鋳物師近江氏 鐘銘に「武蔵国崎西郡池上郷施無畏寺( 熊谷市 )、延慶二年十一月五日大工近江権守朝臣」あり。 四 足立郡平方村 ( 上尾市 ) 明治八年 騎西町 釜屋文書に平方村酒造業近江善八あり。 五 同郡鴻巣町 明治十四年埼玉銀行株主近江勝五郎・五株二百五十所有。 明治三十五年乾物商近江勝五郎・荒物商近江好之助あり。 六 雑載 昭和三年興信録・所得税及び営業税(下段)に「浦和町・近江二作・三十五円、鴻巣町・近江好之助・二百五十円・百十二円」あり。 小浦 オウラ 与野に存す。 山形県西置賜郡飯豊町 十三戸あり。 コウラ参照。 邑楽 オウラ 草加、岩槻、川越、幸手、川口等に存す。 オオラ参照。 生頼 オウライ 所沢に存す。 押領司 オウリョウシ 越谷、草加、三郷、川越、久喜、白岡、川口等に存す。 小江 オエ 大里郡小 泉村 ( 大里町 )及び隣村の屈戸村付近を小江郷或いは大江郷と称す。 正平七年高文書に小江郷と見え、正長元年円覚寺文書に武蔵国大里郡大江小泉郷と見ゆ。 鎌倉大草紙に「荒河を渡り村岡河原まで攻上り、小江山まで引退く」とあり。 オオエ参照。 小江氏は所沢、北本、浦和等に存す。 オゴウ参照。 尾絵 オエ 松伏に存す。 麻植 オエ 越谷、大宮等に存す。 小江川 オエガワ 男衾郡小江川村( 江南町 )あり、老川郷とも称す。 江戸期の書にオエガワと註し、今はコエガワと称す。 大 オオ 梁書・百済伝に「邑を檐魯と謂ふ。 中国の郡県を言ふが如し。 其の国、二十二檐魯あり」と見ゆ。 百済のクはオオ(オホ)、ダラは檐魯(たんろ)で、クダラは「大邑、大国」を表す。 日本書紀・雄略天皇二十年条に「百済記に云はく。 狛の大軍来りて大城を攻めること七日七夜にして、王城陥いり、遂に尉礼国を失ふ」と。 三国史記に慰礼城と見え、神功紀に意流村と見ゆ。 大城(古代朝鮮語のコニサシ)のサシは都の意味。 王都(漢城、今の広州)は尉礼(いれ)、意流(おる)と称した。 ヲル、ヲリは大の意味である。 古事記に「天之冬衣神、此の神、刺国大神(さしくにおほのかみ)の女、名は刺国若比売を娶りて、生みし子は大国主神、亦の名は大穴牟遅神と謂ふ」と。 大国主神は、刺国すなわち大城(尉礼城)の大ノ神の子である。 また、日本地名学研究・白鬚考に「白鬚に非ずして韓音のクダラ也」とある。 すなわち、白鬚(しらひげ)は百済神である。 白髭(しらひげ)とは朝鮮語のクナルでクナラ、クダラと同じ意味である。 クは「大きな」、ナラ、ダラは「村、国」で、「大の国」は百済(くだら)を云う。 白髭・白鬚・白髯・白髪社等は新羅人居住地の新座郡には無く、高麗郡に多くあり、高麗人及び百済人は同族にて共に夫余族なり。 一 大族の居住地 古代朝鮮半島南部は、北方から韓族(夫余族)が南下し、大ノ国(後の百済)の原住民は最大規模の集団で我が国へ渡来して来た。 彼らを率いて来たのは大ノ国の大王である大国主神(代々の襲名)であった。 渡来集団の居住地は、出雲国意宇郡、大和国十市郡飫富郷、同国式上郡小夫郷、遠江国磐田郡飯宝郷(今の於保村、大之郷)、甲斐国南巨摩郡飫富郷(飯富村)、下野国安蘇郡意部郷(佐野市)、上総国望陀郡飫富郷(於布と註す。 袖ヶ浦市飯富)、下総国相馬郡意部郷(取手市)等である。 また、大野郷、小野郷、及び大河原、大沢、大島、大田、大塚、大山等も同じである。 また、人と逢(あう)ことをオオタ、オウタと云う。 オオ(オホ)の古代朝鮮語はウと称し、宇野、宇羅、浦、浦部も同じ。 大族の集団を大部と称す。 アベ、アラ、ウツミ、オオベ参照。 二 大族の東国移住 肥前国杵島山の鹿島(後の鹿島牧)の大族は大(多)臣が支配管掌し、其の一族は、同族の居住する常陸国鹿島の地へ移り、さらに陸奥地方の大族を支配したのが大臣である。 肥後国阿蘇郡との境に豊後国大野郡(於保乃)あり、大族の居住地である。 肥前国杵島郡杵島郷(きしま)あり。 肥前国風土記逸文に「杵島郡。 村里の男女は、毎年山に登り歌ひ舞ふ。 これは杵島曲なり」と。 此地の大族は常陸国へ移住し、常陸国風土記・行方郡条に「建借馬(たけかしま)の命、軍士を引き率て、安婆の島に宿る。 天の鳥琴、天の鳥笛、波のまにまに潮を遂ひて(琴・笛の音楽が流れ聞こえる)、杵を鳴らし曲を唱ひ、七日七夜、遊び楽しみ歌ひ舞ふ」と見ゆ。 杵(きね)を鳴らし曲(うた)を唱(うた)ひとある、旧説の「鳴杵唱曲」は、「杵嶋唱曲」で杵嶋節を歌ったという。 万葉集にも杵島節のことが見える。 安婆(あば)茨城県稲敷郡桜川村阿波の地にて、有名なる大杉神社(別名をアンバ様)の鎮座地なり。 海洋民の祭った漁労航海の神である。 杉は大国主神(別名大物主命)を祀った大和国三輪神社の神木であり、此の後裔は杉紋を用いる。 大物主命を祖神とする大族の物部氏が祭ったのが大杉神社である。 鹿島(鍛冶間)の地名より名付けられた借馬命(かしまのみこと)は鍛冶集団大(多)族の首領である。 東国に移住した大族の主力部隊は中臣姓藤原氏であり、豊前国仲津郡中臣郷に居住していた大族中臣氏は常陸国鹿島(鍛冶間)の地に鹿島神宮を祭り、後世この地より中臣鎌足が生まれる。 常陸国風土記に「香島の郡。 天の大神の社、坂戸の社、沼尾の社、三処を合せて、惣べて、香島の天の大神と称ふ。 天の大神(鹿島神宮の神)は、中臣の巨狭山命(おおさやまのみこと。 姓氏録に大とある)に宣(のり)たまわく。 慶雲元年、国の司、綵女朝臣(うねめのあそみ)・鍛(かぬち)・佐備(さび)の大麻呂等を率て、若松の浜の鉄(まがね)を採りて剣を造りき」と見ゆ。 大族中臣氏は鍛冶集団の首領である。 同風土記に「行方の郡。 茨城の国造小乙下壬生連麿、那珂の国造大建壬生直夫子等、惣領高向の大夫・中臣幡織田の大夫等に請ひて、茨城の地の八里と那珂の地の七里とを合はせて七百余戸を割きて、別きて郡家を置けり、行方の郡と称ふ」と見ゆ。 壬生直は建借馬命の子孫である。 また、「茨城の郡。 山の佐伯、野の佐伯、自ら賊の長と為り、徒衆を引率て、国中を横しまに行き、大く劫め殺しき。 時に大臣の族黒坂命、此の賊を規り滅さむと、茨をもちて城を造りき」と見ゆ。 建借馬命の弟黒坂命は石城国造の祖である。 また、下総国相馬郡意部郷は、利根川流域の茨城県取手市小文間・戸頭と、千葉県柏市布施の地域を唱え、住民はすべて藤原部を名乗り、また葛原部とも称す。 この葛野(かつの、ふぢの)の枕詞は千葉である。 すなわち千葉氏は大族藤原部の一団であり、奥州太平洋岸に鹿島社を祭り、其の地に千葉姓が多く現存す。 奥州の大族を支配管理していたのが大臣である。 藤原部、千葉参照。 多 オオ 古事記の編者である多安麻呂は太朝臣安万呂とも見え、大氏に同じ。 弟に建借馬命・仲国造の祖。 此氏の祖先武宇都彦命のウヅは渦の意味で海洋民の首領である。 神八井耳命は九州阿蘇地方を賜り、此地の大族を支配した。 多臣は其の系を冒して神武後裔と称した。 浅見、阿蘇、大野参照。 大饗 オオアエ 所沢、北本等に存す。 大阿久 オオアク 栃木県下都賀郡岩舟町 二十二戸、 都賀町 八戸、 上都賀郡西方町 二十五戸、 栃木市 六十三戸あり。 一 熊谷町 明治三十五年湯屋大阿久ユキあり。 大浅 オオアサ 深谷、草加、入間に存す。 大麻 オオアサ 鳥取市 十戸あり。 一 埼玉郡間口村( 大利根町 ) 幸手宿雷電社明治十七年御嶽碑に間口・大麻六郎左衛門あり。 現存無し。 大足 オオアシ 八潮、富士見等に存す。 栃木県芳賀郡二宮町十四戸あり。 大芦 オオアシ 足立郡大芦村 ( 吹上町 )あり。 入間郡下奥 富村 字大芦は大鷲とも書き古の村名にて、亀井神社天保十二年碑に大芦組と見ゆ。 栃木県佐野市 四十一戸、 岩手県久慈市 二十戸あり。 大蘆 オオアシ 坂戸に存す。 大麻生 オオアソウ 大里郡大麻生村( 熊谷市 )あり、北条時広娘とよかめ(渋川義春妻)の譲状に「永仁四年八月十八日、むさしの国おほあさうの郷」と見え、子息三郎貞頼へ譲る。 さらに貞頼が子渋川三郎義季に譲る、「三郎義季分、武蔵国大麻生郷、元亨四年四月二十九日、前丹波守貞頼御判」と見ゆ。 また、 秩父郡大滝村 字麻生は、延享二年秩父領御用日記に大麻生村と見ゆ。 大網 オオアミ 足立郡中平塚村 字大網あり。 越谷、草加、春日部、日高、北本、鴻巣、新座、大宮等に存す。 千葉県香取郡多古町 七戸、 東庄町 十三戸、 市原市 三十九戸、 銚子市 五十三戸あり。 大洗 オオアライ 榛沢郡新戒村字大洗あり、秦河勝の末・新開荒次郎が此地に要害を築き祖神・大荒明神を勧請して此の地名が起こると伝えるが附会である。 字小洗もあり、和名抄の榛沢郡新居郷の地なり。 大新井 オオアライ 入間郡鹿ノ 下村 ( 越生町 )に三戸存す。 昭和三年興信録に「 越生町 ・大新井徳次郎・所得税十円」あり。 旧家なり。 大新垣 オオアラガキ 上尾に存す。 大荒田 オオアラタ 足立郡塚越村 字大荒田、埼玉郡大竹村字大荒田あり。 所沢、川越等に存す。 稾 オオイ (正確な字は、高に木です。 禾ではありません。 オオイ様申し訳ありません。 茂木㊞)。 足立郡吉笹原村(草加宿)市神祠官稾兵部、養子一尹は弘化嘉永頃に私塾を開き門弟多くあり。 代々高橋治郎左衛門を世襲し、新田氏の家臣で「高大の御詞」を得たことから高・大を合わせて稾に改めると云う。 一利の長男初五郎は四代目彦兵衛養子。 二男亀太郎(一重)は家督す。 三男常次郎は稾兵部菅原一幸と称し、其の養子一尹」と見ゆ。 天保十三年神道裁許状に草加宿市神神明宮祠官稾兵部菅原一幸・五十歳とあり、文久二年没す。 嘉永四年に彦糸村の森伊之助を養子とし、稾美濃正源一尹と改め菅原姓から源姓に改めて市神祠官となる。 当家は下宿の八幡社祠官土産田家文書を所蔵す。 明治二十九年草加宿六丁目市神稾幸次郎あり。 大井 オオイ 大は二字の制度により、大野、大井となる。 大族の居住地を大井と称す。 入間郡大井村( 大井町 )あり、古は大野と唱へしと云う。 当村天正七年新井文書に入間郡大井郷と見え、貞享四年検地帳に下仙波之内大井江と見ゆ。 群馬県北群馬郡吉岡町 二十九戸、 安中市 二十七戸、 茨城県猿島郡総和町 十五戸、 千葉県安房郡富山町 十戸、 神奈川県三浦市 八十戸、 長野県埴科郡坂城町 二十六戸、 北佐久郡御代田町 九十戸、 望月町 十八戸、 佐久市 二百十戸、 小諸市 七十戸、 新潟県長岡市 四十六戸、 岩手県九戸郡種市町 十九戸、 宮古市 二十七戸、 山形県西村山郡朝日町 十四戸、 東田川郡三川町 十八戸、 酒田市 九十戸、 鶴岡市 四十戸あり。 一 村山党大井氏 入間郡大井村郷土史に「村山貫主頼任の孫大井五郎太郎の居城あり」と。 二 岩附城士の大井氏 松隣夜話に「永禄七年五月、岩附の太田三楽・侍大将大井土岐等は松山城を攻める」と見ゆ。 三 岩槻藩松平伊賀守(藤井)家臣 元禄七年岩槻藩分限帳に「二百石・大井三郎右衛門、七両五人扶持・大井友之丞」あり。 四 忍藩松平下総守(奥平)家臣 嘉永七年忍藩分限帳に「御普請下役・四石二人扶持・大井宗平」。 明治四年に「六石四人扶持・大井泰蔵、五石二人扶持・大井房之助、同高・大井佐蔵」あり。 七項参照。 五 騎西・川越藩松平周防守(松井)家臣 明治元年川越藩分限帳に「武具方・十一人扶持・亡養父熊次郎・大井栄左衛門・三十七歳、父栄左衛門・大井松太郎・十三歳」あり。 六 葛飾郡杉戸町 明治三十五年機業大井義郎あり。 七 埼玉郡成田町( 行田市 ) 明治九年成田町副戸長大井佐蔵・天保四年生。 昭和三年興信録に「忍町・大井光治・所得税三十九円・営業税六十八円」あり。 八 入間郡 川越町 氷川社明治三十三年玉垣碑に大井幸吉(酒商)。 昭和三年興信録に「 川越市 ・大井幸吉・所得税六十五円・営業税六十七円」あり。 九 比企郡 松山町 明治三十五年足袋商大井惣次郎あり。 一〇 幡羅郡太田村( 妻沼町 ) 大里郡神社誌に「太田村大重院は、当山派修験にて維新後復飾して大井中と改め諏訪社の神職となる」と。 私塾師匠修験大井御慶・明治四十年没八十二歳あり。 一一 本庄宿 明治四年諸井文書に台町大井繁蔵あり。 一二 児玉町 明治三十五年に大井忠三あり。 太井 オオイ 和名抄に児玉郡太井郷あり、高山寺本に大井と見ゆ、今遺名を聞かずと云う。 また、埼玉郡太井村( 熊谷市 )あり、当村の内、門井村・棚田村は 行田市 に編入し、新宿村は 吹上町 へ編入す。 当村は暦応三年安保文書に崎西郡大井郷と見え、押切村東陽寺万治二年文書に大里郡太井村と見ゆ。 一 河原党太井氏 埼玉郡太井村より起る。 武蔵志に「河原氏古文書に云。 治承四年三月、着座面々、大井五郎治・是は河原太郎家の武家法令也」と見ゆ。 二 忍城士の太井氏 成田分限帳に「十八貫文・大井代右近、十五貫文・大井代佐門」あり。 上之村龍淵寺寛政八年鐘銘に「成田下総守殿家来末葉、太井右近末葉・太井住・代七郎右衛門」と見ゆ。 太井氏の本名は代氏なり。 太井村及び棚田村に太井氏は現存無し、太井村に代氏多く存す。 また、忍名所図会に「太井村、太井の郷という。 又太井四ヶ村と云は棚田・門井・新宿を加てなり。 古成田の臣大井若狭守の所領なりと也。 若狭守の子孫今棚田村にあり、土民となり近き頃まで兵具を持伝てありしを、家の側に埋蔵して神明宮と崇め祭りしは惜しむべし、今鐙のみを伝う」と見ゆ。 此氏も本名に復姓して棚田村に土着するか。 三 北条氏家臣の太井氏 鶴岡八幡宮供僧香象院文書に「天正十四年七月二十四日、二十一貫三百文・下新開、六十六貫三百八十六文・矢木沼、十二貫三百十七文・沖之郷之内、已上百貫文、右新田領検地奉行前より可請取之、此外七十貫文之同心給出所、重而可被仰出者也、太井豊前守殿、北条家印」と見ゆ。 榛沢郡新開郷の領主太井豊前守は小田原北条氏家臣にて、上野国金山根曲輪在城なり。 大居 オオイ 越谷、新座、蕨、大宮、与野等に存す。 大伊 オオイ 入間に存す。 大炊 オオイ 吹上、新座等に存す。 太平記卷三十に「大炊弾正・富田以下を宗として、児玉党十七人一所に討れけり」と見ゆ。 大類の書誤りなり。 桜井 オオイ 浦和に存す。 大家 オオイエ 熊谷、狭山、上福岡、川越、幸手、川口、戸田、浦和、大宮等に存す。 オオヤ参照。 大碇 オオイカリ 新座に存す。 大井川 オオイガワ 吾妻鑑に武蔵国大井川と見ゆ。 古代渡良瀬川の下流で武蔵国より江戸湾へ注ぐ。 現在は利根川の支流となり太井川と書誤り、いつしかフトイ川と称す。 福島県いわき市 九十四戸あり。 一 埼玉郡大沢町( 越谷市 ) 大沢猫の爪に「鷺後組百姓大井川半兵衛」と見ゆ。 三 入間郡入間川町( 狭山市 ) 明治三十五年車製造大井川長次郎あり。 大池 オオイケ 埼玉郡粕壁宿字大池は古の村名にて、八幡社天保三年庚申塔に埼玉郡大池村とあり。 秩父郡品沢村字大池あり。 長野県東筑摩郡山形村 四十四戸、 小諸市 百四十戸、 松本市 七十七戸、 青森県上北郡七戸町 五十戸あり。 一 埼玉郡谷之郷( 行田市 ) 春日社文化九年水鉢に大池伴七あり。 大石 オオイシ 茨城県東茨城郡内原町 十四戸、 日立市 二十戸、 山梨県南都留郡河口湖町 五十二戸、 勝山村 十四戸、 大月市 四十五戸、 新潟県三島郡越路町 十六戸、 見附市 十七戸、 宮城県遠田郡涌谷町 十九戸、 青森県下北郡佐井村 十一戸、 北津軽郡中里町 十二戸、 山形県西置賜郡飯豊町 十六戸、 天童市 百戸、秋田県平鹿郡大文字町十八戸、 南秋田郡五城目町 四十六戸、 仙北郡田沢湖町 九十戸、 島根県美濃郡美都町 十六戸、 邑智郡桜江町 二十一戸、 益田市 百二十五戸、 鳥取県八頭郡若桜町 二十戸あり。 一 木曽氏流大石氏 信濃国小県郡大石村(東部町)より起ると云う。 風土記稿多摩郡下柚木村(八王子市)条に「百姓伝左衛門・先祖伊藤太郎左衛門は本姓大石氏なりと云。 家に蔵する大石系図一卷あり、その系図を閲るに、大石播磨守定仲が妻は、伊藤若狭祐重が女なりとあり、かゝる所縁によりて、大石と名乗しこともありしにや、大石は当国著名の家なれども、今その子孫たまたまのこりたるも、いとをとろへて、家伝もたしかならぬこと多しと聞けば、系図の全文を下に録せり。 観応二年十月上州御進発之刻進先陣、同三年同国笛吹、其外於所々尽忠節、仍而延文元年五月十一日同国入間多摩両郡の内にて、十三郷之同国被神目代職、同年八月中移二宮住居。 直久の弟に源次郎定勝(母伊藤若狭祐重女、永禄十一年生、小田原没落後大久保石見守給仕)。 但し、諸書の記録によると、系図の卒年に相違あり。 次項を参照せよ。 二 古文書等による大石氏 〇鎌倉円覚寺文書に「応安三年十月三日、足利氏満は、隼人佐能重をして、比企郡竹沢郷竹沢左近将監入道跡の下地を藤田越中入道覚能に打ち渡す」と。 武蔵守護代大石能重なり。 〇伊豆国三島大社文書に「永徳二年九月九日、氏満は、三島宮神主の訴へにより、大石遠江入道殿をして、武蔵国那賀郡小栗村(美里町)の下地を同宮社家代官に沙汰し付けしむ」と。 同文書に沙彌道守花押(武蔵守護代大石信重)と見ゆ。 〇足利鑁阿寺文書に「至徳三年十月七日、関東管領上杉憲方は、大石遠江入道殿をして、比企郡戸守郷の下地を鑁阿寺雑掌に打ち渡さしむ」と。 信重なり。 〇鎌倉明王院文書に「康応元年八月十六日、上野国淨法寺九郎入道跡平塚・牛田・岩井を明王院雑掌に打ち渡す、石見守能重花押」と。 〇鎌倉明月院文書に「応永十二年五月十二日、古上杉憲方の菩提を弔わんがために、大石大炊助殿を旦那として足立郡馬室郷に大工山妙楽寺を建立す」と。 〇京都東福寺文書に「応永三十四年五月十三日、鎌倉府は、大石遠江入道殿をして、武蔵国多西郡船木田庄を同寺雑掌に沙汰し渡さしむ」と。 武蔵守護代大石信重なり。 〇鏑矢記所収に「応永三十四年六月一日、上杉憲実は、大石隼人佐殿をして、伊勢大神宮領下総国葛西御厨領家職上分米を領主等に触れしむ」と。 武蔵守護代大石憲重なり。 〇円覚寺黄梅院文書に「正長元年六月二十一日、大石隼人佑殿をして、足立郡河田郷領家職を糾明せしむ」と。 憲重なり。 〇僧長弁の私案抄に「正長二年、当国目代石見守源憲重」と。 〇雲頂庵文書に「永享六年十二月十三日、上杉憲実は、大石石見守殿をして、足立郡中茎郷を同郷本願寺雑掌に沙汰し付けしむ」と。 武蔵守護代大石憲儀なり。 同文書に「永享六年十二月二十七日、前石見守在判」と。 憲儀なり。 〇足利家御内書案に「長禄三年十月十四日於武州太田庄合戦之時、大石九郎殿の父討死せしことを、将軍足利義政は賞す」と。 〇太田道灌書状に「上杉顕定・上野国河内御移已後、長尾景春の所より大石石見守等差添へる。 景春・入間郡浅羽へ打出、大石駿河守顕重在城地二宮へ著陣す」と。 〇島根県大田市の南八幡宮経筒に「大永五年五月吉日、武蔵国多西郡大石源三源朝臣憲重」と。 〇多摩郡下恩方村淨福寺(八王子市)棟札に「大永五年十二月十三日、大檀那大石源左衛門入道道俊并子息憲重」と銘あり。 〇多摩郡小和田村広徳寺文書(五日市町)に「天文二十年九月六日、道俊花押」と。 〇下長房村(八王子市)に「天文二十二年、長房白山妙理大権現造営、大檀那大石源左衛門尉縄周」と見ゆ。 三 諸書等による大石氏 〇鎌倉大草紙に「応永二十三年、大石源左衛門等は上杉憲基御所へ馳参る。 永享九年六月二十七日管領山内上杉憲実家にて大石石見守憲重・長尾左衛門尉景仲、色々讒説をかまゆるよし云々。 永享十一年十一月十一日持氏鎌倉永安寺へ帰り入せ給ふ、上杉修理大夫持朝・大石源左衛門尉憲儀等番替して警固し奉る。 永享十二年三月、上州の守護代大石石見守憲重は、下野国足利荘野田城を攻め落し、嘉吉元年四月古河城を攻め、上杉清方被官の大石石見四郎は首七ツを取る、大石源左衛門尉は大蔵民部丞の首を取る。 文明十年正月、長尾景春は、大石駿河守が二宮の城へ着陣して、小机の城の後詰をせんとす、太田道灌多摩郡村山に陣を取る」と見ゆ。 〇持氏滅亡記に「永享九年七月二十七日、山内の家人大石石見守憲重・長尾左衛門尉景仲は騒動の本人たるにより在国を命ぜらる。 永享十年八月、長尾新五郎実景・大石源三郎重仲は、上杉憲実に鎌倉退去のことを進言す。 永享十年十一月十一日持氏永安寺へ入る、憲景が代官大石源左衛門尉憲儀・同大夫持朝は警固す」と。 〇永享記に「永享十二年三月、上州之守護代大石石見守憲重」と。 〇永享後記に「康正元年十月十七日、長尾景仲・謀を廻し、武州滝山の城主大石源左衛門を先がけの大将として岡部原に陣す」と。 〇双林寺伝記に「永享十二年正月、結城一党蜂起につき、山内上杉清方は、大石石見守憲重等を集めて評定す」と。 〇松陰私語に「文明九年五月八日武州於針谷原合戦、其日之合戦、山内には大石源左衛門尉討死」と。 〇梅花無尽蔵に「武蔵目代大石定重」と。 〇北条記に「管領より加勢には、大石源左衛門等、永正七年十一月神奈川の権現山の城を取巻たり。 天文十五年四月、上杉譜代大石源左衛門・藤田右衛門佐以下悉く氏康へ降参す。 永禄十二年、大石信濃守等小田原衆、三島より蒲原まで段々に備ける。 天正九年三月、武田勢に備へて、獅子浜(沼津市)に大石越後守等在城す。 天正十八年六月二十三日、上方勢八王子く城へ押寄す、大石信濃守は切て出、散々に合戦し、敵あまた討取り、終に討死してけり」と。 〇鎌倉九代後記に「天正元年冬、下総国関宿城主簗田中務大輔、北条氏政に逆心す、北条陸奥守が家来大石源左衛門等相戦ふ。 同二年五月簗田降を乞て城を退去す」と見ゆ。 四 多摩郡の大石氏 〇風土記稿滝村(八王子市)条に「滝村は下高月とも唱ふ、すなわち高月村の枝郷にて全く一村に立たる村なり。 滝山城蹟は大石源左衛門定久が築て居住せし所なり。 山城にて最も険阻なる地なり。 本丸及び千畳敷などの名、今に遺れり、西北の方は多摩川、秋川、纏ひ繞りて(まといめぐりて)懸崖の前は武蔵野を臨みて絶景の地なり。 すべて当時の渠濠等、今に処々に遺跡あり。 抑(そもそも)此の源左衛門は木曽義仲の裔にして、累代関東管領上杉氏に属して、久しく当国に住せり。 定久に至りて本領由木郷より、当城を築きて移り住せり。 天文十五年、北条氏康川越夜軍の後、藤田右衛門佐と共に降を乞ふて氏康に属せり。 定久後に氏康の二男を養子として妻あわすに其の女を以ってす、これを大石源三氏明と云ひ、後に陸奥守氏照と云へり。 かくて此の城氏照に譲て、自身は入道して心月斎道俊と号して、近郷高月に隠居せり」と。 〇高月村(八王子市)条に「東は滝村に隣り。 城蹟は円通寺の境内、及び其の辺なり、此の城は大石信濃守が住せしよし云り。 西北の方は秋川多摩川の二川めぐりて断岸絶壁なり、東の方は古の武蔵をうち望みて、最勝景の地なり。 本丸外曲輪からほり等の遺跡、今なほ存せり」と。 高月村の滝ノ城附近に二宮明神社あるゆえに二ノ宮城とも云い、また滝山城とも云う、鎌倉大草紙の二ノ宮城とは当所のことなり。 秋川市の二ノ宮村条に「按に鎌倉大草紙に文明十一年上杉定政河越より大石駿河守が二ノ宮の城へ押寄せ大石降参すとあり。 これによれば、大石ここに栖たると見ゆれど里民にもこの伝は更になく、又城塁と覚しき所もみえざれば、もしくはこの地、駿河守が住せし跡にやさわいへど、ここより高月村の古城跡へも、わずかに六七丁許を隔てたれば、大草紙に二ノ宮城といひしは高月の誤なるも、又しるべからず」と。 当村では無い。 〇上恩方村(八王子市)条に「相州津久井県に接せり、村内の小名に案下と云所あり、近郷のもの案下村と呼なせるも案下峠などありて其地名の広きよりのことなるべし。 朽縄城あり板当山と合して二百十六町六段六畝歩許の地なり、高山にしていと険阻なり。 皎月院は小名板当にあり、開基は皎月院英岩道俊と云ふ、これ滝山城主大石源左衛門定久が法諡なり」と。 〇下恩方村条に「淨福寺に千手の霊像あり、大永年中、木曽義仲の苗裔大石源左衛門尉入道道俊と云もの当所に居城を構へし比、継嗣のあらざることを深く痛み、この像に一男を設んことを祈りしほどに果して一子を産す、是源四郎憲重也・後に石見守と改名せり。 然るに大永四年十二月十四日の夜上杉憲政襲ひ来りて城郭を放火せし、大石父子は利を失ひて相州小田原なる北条氏康に投しける。 大石父子は更に地をえらみて、滝山に城をとり立て移り住せり。 昔の城跡は本堂の後背上り四丁余にあり礎石升形本丸外郭等の跡今尚まのあたり存せり。 心源院の開基は大石遠江守にて法諡を英岩道俊といふ、則ち石見守憲重が父にて初め源左衛門と称せし人なり。 城光院の開基は大石源四郎憲重・法諡は淨光院殿月峯恵輪大禅定門、没年詳ならず」と。 〇山入村(八王子市)条に「乾晨寺の開基滝山城主大石遠江守・法名甲久院草原栄種居士・卒年詳ならず。 開山僧は永禄八年寂す」と。 〇下柚木村(八王子市)条「過去帳を閲るに、定久室・定光院月嶂恵輪禅定尼、道俊の子・兵庫頭宗政・法名陽中源雙禅定門、大石信濃守宗虎室・法蓮院夏山妙華禅定尼、氏照室俗名阿豊・天桂院輝容祐光禅定尼・天正十八年六月二十三日とあり。 これらの人をも当寺へ葬りしにや、いまだ考へず。 大石遠江守墓・同所にて少しく東の方なり。 これ遠江守定久が葬地にして、永林寺境内にあるは子孫拝礼の為めに造りしなるべし」と。 また、武蔵名勝図会柚木村条に「御嶽社は大石遠江守が建立する所にして、滝山城の鎮守三十八体ありし、その一をここに崇め祀れり。 棟札に天文二年三月二日とあり、その余は文字消て読べからず。 按にこれ始て建立せしときの棟札なるべし。 四郎左衛門は遠江守が始の名なるにや、遠江が子孫に天正慶長の頃、四郎左衛門といひし人あり、恐くは祖先の名称せしなるべし。 永林寺は久米村永源寺の末寺なり、開山の僧長純・俗姓は大石氏、滝山の城主源左衛門定久が叔父なり。 永林寺所蔵文書に、天文七年六月二十八日・道俊判。 天文十五年六月二十八日・心月斎花押とあり」と見ゆ。 〇風土記稿越野村(八王子市)条に「普願寺は大石信濃守の開基にて、同寺境内に大石信濃守宗虎墓あり、宗虎は滝山の城主大石源左衛門定久が嫡子にて初は内記と称せり、近郷由木に居館を構ふ、元亀二年六月八日没せり」と。 武蔵名勝図会に「普願寺の開基大石信濃守宗虎・法号蓮心院法性淨華大禅定門・元亀二年六月八日卒の墳あり」と。 〇松木村(八王子市)条に「大石信濃守屋敷跡あり、滝山の城主にて永禄のころの人なりといふ」と。 〇杣保長淵郷羽村(羽村町)条に「坂本小源太といへるものの家にある旧記によれば、天正の頃、神護寺の城主北条陸奥守氏照が旗下大石左近大夫照仲・当村を知行す。 是は氏照が養父高月城主大石源左衛門尉憲長が一族なり。 同十八年小田原落城の時、神護寺の城主も共に没す」と見ゆ。 五 高麗郡の大石氏 〇小田原所領役帳に「十六貫文・平沢内金剛寺分・大石信濃守」あり。 平沢村( 日高市 )条に「小名金剛寺、この所に寺あり故にこの唱ありと云ふ」と見ゆ。 〇風土記稿中居村( 飯能市 )条に「宝蔵寺の中興開基は大石駿河守源重仲。 位牌あり、檀那駿州大守心渓安公禅定門神儀と刻す。 背面に享徳乙亥源朝臣大石重仲齢四十七・正月二十五日逝去とあり」と。 享徳四乙亥年なり。 発祥地の項参照。 〇白子村( 飯能市 )条に「長念寺へ与へし文書に、天文十二年七月朔日・定久の花押あり。 白髪社永禄七年棟札に大石孫二郎殿百姓衆とあり。 横手村山口文書に、二十貫文・白子村深沢共・右者武州白子村大石隼人所務仕来之場所不残被宛行候、天正七年三月三日、山口郷左衛門殿。 と見えたり」と。 当村は大石氏の旧領地なり。 〇また、白子村の近村秩父郡南村( 飯能市 )我野神社棟札に「大旦那大石遠江守源秀信・奉当社御造営、天正六年霜月三日」の銘あり。 次項参照。 六 入間郡の大石氏 〇風土記稿久米村(所沢市)条に「永源寺開基大石氏の位牌を安ず。 正面に開基英嵒道俊大居士とあるは滝山の城主大石遠江守定久が法名なり、左右に秀岳宗関大居士、直山道守座主とあるは共に大石氏の法名にて、宗関は陸奥守氏照なり、道守は遠江守信重なり。 客殿に鐘をかく刻して曰く、武州入東郡久米郷大龍山永源禅寺・本願檀那大石遠江入道直山道守・応永二十九年壬寅九月初吉日とあり。 同寺宝篋印塔に、直山中公庵主・正長三年二月二十八日巳剋の銘あり」と。 〇北野村天神社文書(所沢市)に「天文十一年二月十五日、北野宮神主殿、道俊花押」。 「天正十七年四月三日、秀信花押」と判物あり。 〇また、入間市史調査集録に「宮寺郷二本木村は、武州滝山の城主大石石見守憲重・憲儀・房重・顕重・定重・定久・北条氏照天正十八年廃城、大石領地七代百二十年」とあり。 是は隣村の坊村修験金蔵寺(本名大石氏)の霞郷で、滝山城主大石氏は無関係であろう。 七 新座郡の大石氏 文明頃の廻国雑記に「さゝいをたちて武州大塚の十玉が所へまかりける、あるとき大石信濃守といへる武士の館にゆかり侍りて、まかりてあそび侍るに云々」と見ゆ。 当所は天和元年銘に新座郡館之郷大塚と。 また、八幡宮別当長勝院元禄五年鐘銘に新倉郡館江大塚村と見ゆ。 大塚村の十玉坊は今の 志木市 幸町二丁目にあった。 上田条参照。 大石信濃守顕重の館跡は館村( 志木市 )の十玉坊に近い柏の城にて、柏町宮原文書に「城山八幡宮、右城山之儀古来は館柏之城と申天正年中迄、小田原北条氏政公之幕下大石信濃守殿と申候大名之城に而、小田原合戦之時分破城に成る」と。 秩父日記に「館村長勝院といふは回国雑記に見えたる大石信濃守の館の跡なるよし、十玉院より聞おきしかば、道の程とひきくに、かへさのミちにいたくもたがはぬといふに、さらバとてたづねゆく」と見ゆ。 或書に「大永四年、館村の城主大石信濃守政吉」とあり。 また、館郷中野村宝幢寺(柏町一丁目)は柏城主大石信濃守の子大石四郎の屋敷跡と伝える。 風土記稿館村条に「古蹟館迹は長勝院の東の方にありて同寺の境内へも少くかかれり。 今八幡のある所、館のありし所なりとぞ、いかさま北の方に崖ありて広さ二町に二町半ばかりの要害の地なり。 昔大石越後守ここに居れり、此人は小田原北条家の家人なりしが天正十八年太閣秀吉の為に亡びしと。 按に大石越後守は多摩郡滝山城主大石信濃守が一族なるべし」と見ゆ。 八 上野国の大石氏 緑野郡淨法寺村( 鬼石町 )御嶽三山城主は大石石見守憲重と伝え、同所永源寺は大石氏開基と云う。 永享記に「永享十二年三月、上州之守護代大石石見守憲重」と見ゆ。 武州児玉郡御嶽城主長井氏系図に「長井斎藤兵衛実義(嘉吉元年足利春王丸・安王丸に属す。 母大石刑部丞光政女号一之前・実は別府之姉也)」と見ゆ。 長井氏は後に淨法寺村の御嶽城も兼任すと云う。 九 日蓮宗信徒の大石氏 〇下総国小金本土寺( 松戸市平賀 )過去帳に「大石石見守殿・下総国葛西城主・明応六年十二月二十四日千葉氏の臣円城寺平六に被打。 妙法善尼・滝山大石隼人佑殿御内・丙子九月十八日、日光逆修・同隼人佑殿」あり。 大石石見守隼人佑能重の家は、信重流の家とは別家であろう。 信重の家に日蓮宗の法名日光等の日ノ字が見えない。 子孫は岩附城に仕える。 〇秩父郡御堂村( 東秩父村 )過去帳に「存守・大石信州・天文八年十月。 妙円・大石神次郎娘・天文十六年十月。 道俊・大岩・天文二十二年二月。 道英・大石。 文哲・大石」あり。 大岩神次郎娘とも見え、大石はオオイワとも称す。 信濃守の家も別家である。 〇鎌倉妙本寺過去帳に「妙純・大石信州ノ母儀・天正十七年三月。 日高・大石信州大守・六月。 妙高・同内室・六月」あり。 信濃守夫婦の六月没は八王子落城の天正十八年六月のことか。 一〇 大石氏の家紋 〇長倉追罰記に「永享七年、大石の源左衛門はいてうの木」と見ゆ。 銀杏(イチョウ)の紋なり。 〇関東幕注文に「岩付衆・大石石見守・一てうのは二葉」と。 〇幕臣大石氏家譜に「管領家の時滝山の城主と成り代々源左衛門と云。 紋三ツ葉銀杏、替紋二引」と。 〇多摩郡越野村(八王子市)条に「普願寺は大石信濃守の開基にて、寺宝鞍一口あり、紋は亀甲のうちに花菱なり、由岐に慶長七年五月七日としるし花押あり。 開基大石信濃守子孫のものの寄進せるものなり」と。 〇武蔵名勝図会に「多摩郡由木村永林寺に、大石氏の子孫なる由の紀藩片野氏の人々再建す。 台石の正面に定紋をつけたり。 角紋にて、鷹の羽四枚を角に廻して、その中に右巴を附す」と見ゆ。 名跡(組織名)大石の家は銀杏の紋を使用し、自己の苗字(本名)の紋は別なものを用いていた。 一一 大石氏の後裔 〇小田原編年録に「小田原記に信濃守八王子討死の事をしるして云。 源左衛門定久は氏照を婿にし大石家滅亡の時節にや、大石信濃守は松田が子を養子にし、同隼人佐は大道寺が子を養子にして一跡を継しむと云々」。 〇上杉景勝家中侍奉行に大石播磨守あり、文禄三年定納員数目録に「大石播磨守・知行高二千百五十石・出身武蔵」と見ゆ。 子孫は米沢上杉藩の重臣となる。 〇加賀藩給帳に「三百石・丸内三杏葉・大石太作」。 〇下柚木村( 八王子市 )条に「大石遠江守定久墓、本堂より西にあたれる山上にあり。 石碑は近き頃、子孫のものゝ建る所なり。 面に捐館英巌道俊大居士とあり、裏に本国滝山城武相十郡領主大石源左衛門尉定久公、天文十八年己酉二月七日薨去、即埋葬於当郷猿丸山、今文化八年辛未八月七日、大石源左衛門尉定久八代嫡流、片野孫兵衛義徳、同主計義昌、同長左衛門義辰、同小兵衛義任、野村外記勝房」と。 紀州藩家臣なり。 〇下柚木村の大石氏系図所蔵者の百姓伊藤氏は本姓大石氏なり。 〇八王子の加藤文書に「永禄四年三月六日、大石左馬助、大石左近丞、鉄砲衆大石四郎右衛門。 天正五年、大石信濃守。 天正十年、大石筑前守。 天正十二年、大石善左衛門」等の名見え、十一代大石善左衛門景次は、氏照の命により天正十一年伊達輝宗の家臣遠藤山城守の許へ使者に立っている。 此の大石氏の子孫は 比企郡鳩山町 小用に清水姓を名乗って現存す。 〇仕官する者は名跡大石をそのまま名乗り、土着する者は本名に復姓す。 仕官した者も後に本名を名乗ることあり。 一二 大石氏の発祥地 此氏は信濃国小県郡祢津郷大石村(東部町)より起り、清和源氏木曽氏流と称すが地名附会である。 当地は諏訪御符札の古書に「長禄四年、大石村・祢津宮内少弼知行」と見え、是以前からの祢津氏領で、大石氏系図には祢津氏との姻戚関係は見えず。 武蔵大石氏の発祥地は多摩郡木曽郷(町田市木曽町)にて、著名な木曽義仲の後裔を名乗ったのであろう。 此氏は多摩・都筑郡の豪族で西党出身である。 古代氏族系譜集成に「大石氏・西党」と見ゆ。 風土記稿多摩郡木曽村条に「村内八幡社の鐘銘によれば、鎌倉将軍家の比、木曽氏の人ここに来り住せし云々。 八幡社は昔木曽某と云もの始て建立せしと云」と。 八幡社の別当元亀山住善寺覚円坊は本山派修験で南北朝期からの当地方の触頭であったと云う。 都筑郡長津田村(横浜市緑区)条に「多摩郡木曽郷の鶴間・小川・成瀬等の三村に接し、長津田村を合せて八ヶ村を長津田カスミ某の村と呼ぶ、当村はその本郷なり。 カスミと云こと方言なりや、俗に組合と云に同きとぞ、今修験者など組合のことをカスミと云と同意なるべし。 大石権現社をあるをもって字を大石山と呼り、当社は在原業平朝臣を祭れるなりと云、神体は石にて、その大さ人の容に同じ、社地の生いしげりたるをしれば古代よりの地なること云々」と見ゆ。 大石氏は木曽郷の大石権現社より起り、大石氏を名乗って木曽源氏を称したのであろう。 入間郡宮寺郷坊村の修験大石氏も当所の出身者か。 大石系図の信重の譜に「延文元年、入間多摩両郡の内にて、十三郷之同国被神目代職」とある。 社寺の雑務を掌る神職を神目代職と云う。 また、信重の孫憲儀は入間多摩地方の触頭役修験十玉坊の娘を妻としており、信重は木曽郷触頭役の出身で、上杉氏に仕えて目代職まで昇進したのであろう。 木曽郷原町田村浄土宗三宝山勝楽寺の阿弥陀如来胎内銘に「祖父心渓安公禅定門俗名駿河守重仲、慈父安叔龍磐庵主、享徳五年十月五日、二十三・大石大学助清淨光仏奉造立阿弥陀如来、大願主源高仲花押」あり。 本町田村条に「殿ノ城跡、或は御屋敷とも呼ぶ、何人の館跡と云ことを伝へず」と見ゆ。 大石氏は此の木曽郷が本貫地であろう。 重仲は五項参照。 また、当地方に日蓮宗寺院が多く存し、本町田村安善寺(甲州身延山久遠寺末)、原町田村淨雲寺(久遠寺末)、森野村妙延寺(池上本門寺末)等があり、日蓮宗信徒大石氏は是等の檀家であろうか。 一三 岩附城士の大石氏 永禄三年関東幕注文に「岩付衆・大石石見守・一てうのは二葉」あり。 九項参照。 一四 鉢形城士の大石氏 鉢形分限帳に「本国奥州白石・大石源左衛門」あり。 陸奥国石河庄白石郷( 福島県浅川町 )出身の本名某氏は武蔵滝山城の大石氏の名跡を継ぎ、大石源左衛門を称す。 一五 岩槻藩板倉氏家臣 天和二年岩槻藩分限帳に「五十石二人扶持・大石治部右衛門」あり。 一六 岩槻藩松平伊賀守(藤井)家臣 元禄七年岩槻藩分限帳に「五人扶持・大石幾之丞、六石二人扶持・大石安太夫、五両二人扶持・大石助十郎」あり。 一七 川越藩松平大和守家臣 万延二年川越藩分限帳に「医師外科・十三人扶持・大石玄平」。 慶応元年前橋藩松山陣屋付に「六石二人扶持・大石信義」あり。 一八 忍藩松平下総守(奥平)家臣 明治四年忍藩士族名簿に「六石四人扶持・大石又十郎、五石二人扶持・大石道三郎、同高・大石藤蔵」あり。 一九 岡部藩安部氏家臣 明治四年半原県分限帳に「卒・大石喜三郎」あり。 二〇 埼玉郡大沢町( 越谷市 ) 大沢猫の爪に「安永中、大沢出生通塩丁に罷在候・幸手屋大石与兵衛」あり。 二一 同郡羽生町 明治九年副戸長大石源兵衛・文政五年生(酒造業)。 明治三十五年材木商大石里八郎・薬種商大石和一あり。 二二 足立郡蕨宿 榎本文書に「蕨新宿御取立に付、作り田畑被潰御取上に成ける人々七人あり、大石久馬右衛門・七反七畝・是田畑を変地して町屋敷に成ける」と。 榎本条参照。 御嶽社元禄七年棟札に大工大石伊兵衛・大石伝兵衛。 岡田文書に「元禄八年、当所半百姓宮大工伊兵衛・大石伊与守と号す」と。 三学院文久三年供養塔に蕨宿大石弥左衛門。 明治四年蕨宿商用判鑑帳に升弥大石弥左衛門・升安大石安太郎。 明治三十五年織物製造業大石国太郎・同大石富五郎・飲食店大石染次郎あり。 二三 同郡 大宮町 明治三十五年炭商大石新平あり。 二四 同郡小室村( 伊奈町 ) 別所村法光寺寛文十二年地蔵尊に大石正景あり。 二五 入間郡宮寺郷坊村( 入間市 ) 本山派修験金蔵寺は本名大石氏にて旧家なり。 当村に六戸現存す。 太子堂大石家墓地に「感応坊権大僧都法印浄月・応永二年四月二十八日、感応坊権大僧都法印浄真・天文七年六月二十日、永禄八年、天正二年、天正十九年」等の法印銘あり。 天保頃私塾師匠修験金蔵寺大石良元・号栄盤あり。 六項及び十二項参照。 二六 比企郡玉川郷 明治四十五年 玉川村 助役大石長太郎あり。 二七 大里郡熊谷町 明治三十五年酒醤油商大石祐蔵・酒店大石唯四郎・大石丑五郎あり。 二八 榛沢郡深谷町 瑠璃光寺明治二十九年酒井門下碑に大石芳治郎。 明治三十五年印版師大石貫一郎・紙消火器商松居屋大石芳治郎あり。 二九 同郡上野台村( 深谷市 ) 原郷楡山神社明治四十二年碑に上野台・大石芳太郎あり。 三〇 雑載 昭和三年興信録・所得税及び営業税(下段)に「浦和町・大石勝治・二十三円、蕨町・大石玉之助・八十三円・八十四円、白子村( 和光市 )・大石巌・四十六円、羽生町・大石清一・四十五円・七十円、熊谷町・大石富蔵・二百三十三円・百四十円」あり。 大石田 オオイシダ 草加、川口、浦和、大宮等に存す。 大磯 オオイソ 草加、三郷、戸田、大宮、与野、狭山、所沢等に存す。 群馬県山田郡大間々町 六戸、 岩手県大船渡市 十三戸あり。 大分 オオイタ 鳩ヶ谷に存す。 大井田 オオイダ 本庄、上里、小川、吹上、上尾、岩槻、春日部、鷲宮、入間、狭山、所沢等に存す。 群馬県甘楽郡甘楽町 八戸、 下仁田町 十一戸あり。 大井津 オオイヅ 鳥取県(因幡国) 気高郡鹿野町 七戸あり。 大泉 オオイヅミ 新潟県燕市七十七戸、新津市二十七戸、宮城県柴田郡大河原町二十九戸、村田町十七戸、宮城郡利府町十五戸、山形県西村山郡大江町六十三戸、河北町四十三戸、西川町六十戸、寒河江市百三十戸あり。 一 新座郡大 和田町 ( 新座市 ) 明治七年大 和田町 役場文書に「家禄現米八石・士族大泉三五郎・二十二歳」あり。 二 高麗郡上広瀬村( 狭山市 ) 広瀬神社安政五年碑に当所大泉元叔あり。 三 川口町 昭和三年興信録に「 川口町 ・大泉寛三・所得税百三十五円・営業税百十二円」あり。 大出 オオイデ 群馬県邑楽郡板倉町 九戸、 館林市 十八戸、 栃木県上都賀郡西方町 八戸、 鹿沼市 九十二戸、 今市市 四十八戸、 長野県松本市 十七戸あり。 一 葛飾郡円藤内村 ( 幸手市 ) 千塚村宝蔵寺慶応二年筆子碑に円藤内村大出亀吉あり。 当村にオイデ氏一戸、オオイデ氏一戸存す。 大井出 オオイデ 越谷、戸田等に存す。 大井手 オオイデ 草加、所沢、川越、大宮、毛呂山等に存す。 大井戸 オオイド 入間郡大井村字大井戸、水子村字大井戸あり。 大稲 オオイネ 所沢に存す。 大井袋 オオイブクロ 川越行伝寺過去帳に「妙藤・大井袋ノ角左衛門内・子年五月」あり。 比企郡老袋村( 川越市 )住人なり。 大入 オオイリ 志木、浦和等に存す。 岩手県九戸郡種市町 五戸、 青森県八戸市 十戸あり。 大岩 オオイワ 秩父郡椚 平村 字大岩久保あり、当村清泉寺は大岩山と号す。 栃木県那須郡南那須町 八戸、 芳賀郡益子町 十七戸、 千葉県夷隅郡夷隅町 九戸、 長生郡長柄町 九戸、 市原市 六十六戸、 木更津市 四十戸、 袖ヶ浦市 二十七戸、新潟県西蒲原郡 巻町 十六戸、 岩室村 二十五戸、 燕市 二十二戸、 青森県八戸市 三十戸あり。 一 埼玉郡鈎上新田( 岩槻市 ) 多摩郡青梅御嶽神社天保八年御神燈に岩槻領鈎上新田西ヶ尻・大岩卯吉あり。 二 浦和町 昭和三年興信録に「浦和町・大岩嘉一・所得税三十八円・営業税六十一円」あり。 大岩根 オオイワネ 鳩山、川島、和光、吉川等に存す。 大上 オオウエ 越谷、八潮、入間、所沢、飯能、川越、志木、新座、鴻巣、蕨、浦和等に存す。 オオガミ参照。 大植 オオウエ 熊谷、本庄、草加、蓮田、鴻巣、浦和等に存す。 大牛 オオウシ 東松山に存す。 大臼 オオウス 鷲宮に存す。 大内 オオウチ 〇 栃木県芳賀郡二宮町 九戸、 益子町 十九戸。 〇 茨城県多賀郡十王町 二十九戸、 久慈郡金砂郷町 三十九戸、 那珂郡大宮町 三十六戸、 山方町 十六戸、 那珂町 百二十戸、 東海村 百四十戸、 西茨城郡友部町 十五戸、 鹿島郡大洋村 十六戸、 稲敷郡江戸崎町 十一戸、 ひたちなか市 八百五十戸、 日立市 三百戸、 常陸太田市 百二十五戸、 水戸市 三百戸。 〇 長野県上水内郡信州新町 十五戸、 戸隠村 九戸、 中条村 十八戸。 〇 福島県田村郡三春町 九十八戸、 船引町 二十二戸、 安達郡安達町 二十二戸、 岩代町 九十四戸、 東和町 六十五戸、 伊達郡川俣町 五十五戸、 いわき市 百五十戸、 郡山市 二百四十戸、 二本松市 二百二十戸、 原町市 四十五戸。 〇 宮城県柴田郡村田町 二十二戸、 伊具郡丸森町 三十二戸、 宮城郡松島町 十九戸、 桃生郡北上町 二十三戸、 本吉郡本吉町 二十戸、 玉造郡岩出山町 二十戸、 栗原郡一迫町 三十戸、 名取市 八十戸、 岩沼市 五十戸、 石巻市 四十戸。 〇 岩手県胆沢郡前沢町 三十四戸、 水沢市 五十戸。 〇山形県 東村 山郡 山辺町 十三戸、 天童市 五十戸、 東根市 四十五戸、 山形市 八十戸あり。 一 土師姓細谷氏流大内氏 埼玉郡鷲宮神社( 鷲宮町 )神主家にて、莿萱氏系図(鷲宮神社所蔵)に「足利尊氏御改正、暦応二年より始め、当社御信仰の君也。 土師山改鷲山と号す、神宮寺改大乗院と号す、神主細萱氏は改細谷氏、莿萱氏改針谷氏と号す、苗字は尊氏の御代より始む、但し居所の地名を取也。 永禄三年八月十八日早天、先陣木戸宮内少輔一千余人卒し鷲宮栗原城を焼落し、退時に花崎城へ押寄たり、此とき細萱民部少輔光仲殿は七十余人を卒し本城小田原詰也、長子半左衛門泰秀殿は十一歳にて甚迷惑におよび故に針谷徳右衛門父子心配におよび、第一細萱殿御局方、其外家来老若男女子供合て六十余人は、かねて押かくし、後日に至り泰秀君並に御局方は御叔父大乗院秀全法印に頼置、其外の人々は夫々手配致し置候故に鷲宮領鷲 宮村 の外十八ヶ村は此時に没せり。 細萱光仲殿・大乗院御同居一ヶ年半なり」。 また、同書に「大川戸右近は大内殿家来にて社役、実は花崎村の大内主馬之助殿の馬医也、永禄三年落城に付き鷲宮住。 弾正泰秀長男大内半左衛門左馬助泰貞(虎綱引留大力無双、室細谷葵入道昌智娘)、泰貞子大内半左衛門兵部太夫泰勝(室入道昌智男大川戸忠右衛門右近貞勝娘)、泰勝子大内美作秀勝」と。 大内姓の始まりは細萱半左衛門泰秀が、天正十九年十一月に大宮司大内隼人正を名乗ったのが初見である。 泰秀が大内姓に改姓したのは妻が花崎村大内氏娘であった為か。 同書に「祖父泰秀・去る永禄三年社領没落之時、氏を替閑居、氏を改め神事を社人へ預け置たるは、前北条家より人馬催促有る事を欺かんための二心なり。 東照宮御入国之御時、氏を偽り大宮司大内隼人と申上御社領高四百石拝領之事、これに答へて、神主大内美作秀勝五ヶ条申開之事云々」と見ゆ。 此氏の名は、喜連川家文書に「天正六年正月、古河城足利義氏へ年頭申上衆に鷲宮神主新二郎あり、其の節に弾正少弼の官途を与へらる」。 「天正八年正月、年頭申上衆に神主大和守」。 「天正九年二月、神主弾正」等見ゆ。 此氏は土師姓を称す。 莿萱氏系図に「享保年中、大内半左衛門尉従五位下土師朝臣国久」とあり。 次項参照。 二 藤原秀郷流大内氏 前項の氏なれど、鷲宮神社文禄四年棟札に再興神主甲斐守藤原朝臣泰秀入道生年四十四とあり。 藤原姓を称し、下野国芳賀郡大内庄より起ると云う。 此地は鬼怒川添の 真岡市 大内西小学校附近なり。 古河公方の二男を養子に迎えるとは考えられず。 晴泰以前は偽作であろう。 三 岩槻藩板倉氏家臣 天和二年岩槻藩分限帳に「三十俵三人扶持・大内久之丞、六十石・大内久左衛門」あり。 四 足立郡片柳村 (大宮市) 熊野社明治三十二年碑に大内藤助あり。 五 同郡草加町 昭和三年興信録に「草加町・大内春之助・所得税三十八円・営業税五十六円」あり。 大内合 オオウチアイ 草加に存す。 大内田 オオウチダ 行田、本庄、戸田、鳩ヶ谷、与野等に存す。 岩手県久慈市 十六戸あり。 太内田 オオウチダ 上里、所沢等に存す。 岩手県九戸郡大野村 三十七戸あり。 大内山 オオウチヤマ 北本、川越、新座、鳩ヶ谷、浦和等に存す。 大宇根 オオウネ 大宮に存す。 大海 オオウミ 草加、三郷、川口、大宮、三芳、大井、日高等に存す。 大海渡 オオウミド 鳩ヶ谷に存す。 オオカイド参照。 大浦 オオウラ 埼玉郡久喜町字大浦あり。 茨城県取手市 三十戸、 神奈川県高座郡寒川町 十六戸、 福島県双葉郡富岡町 九戸、 浪江町 二十一戸、 原町市 十六戸、 宮城県白石市 七十五戸、 青森県三戸郡南郷村 九戸、 福地村 九戸、 八戸市 二十四戸、 山形県東置賜郡高畠町 六十四戸あり。 一 岩槻藩板倉氏家臣 天和二年岩槻藩分限帳に「十三石二人扶持・大浦惣左衛門」あり。 大浦地 オオウラチ 志木に存す。 大工 オオエ 川口に存す。 大江 オオエ 大里郡小 泉村 及び屈戸村( 大里町 )附近を大江郷、或は小江郷と称す。 三重県竹内文書に「嘉元四年、室町院御領目録、武蔵国大江小泉」。 高文書に「貞治四年、武蔵国大江郷」と見え、小江郷とも見ゆ。 円覚寺文書に「正長元年、武蔵国大里郡大江小泉郷」と見ゆ。 荒川河川敷となってしまった江川分(屈戸村及び江川下久 下村 )の地であろう。 茨城県日立市 五十戸、 新潟県東蒲原郡鹿瀬町 三十四戸、 宮城県桃生郡矢本町 三十戸、 多賀城市 二十四戸、 青森県三戸郡階上町 十二戸、 八戸市 二十八戸、 山形県東根市 百八十戸、 天童市 四十戸、 寒河江市 五十戸、 島根県安来市 二十六戸、 鳥取県日野郡溝口町 十八戸あり。 一 久下氏族大江氏 大里郡大江郷(江川下久 下村 )より起る。 榊原家所蔵文書に「久下千松丸申す、武蔵国所領田畠・在家等事、任去貞和二年九月十日沙弥乗恵譲状、同四年十一月十六日丹治氏女、同五年十月三日大江重光、同五年三月三日光貞、同三月八日沙弥道光、同八月二十五日家政、同六年四月十七日景忠等沽却状等、并観応三年五月十四日左衛門次郎頼末譲状、知行不可有相違之状如件。 文和二年七月二十三日、尊氏判」と見ゆ。 二 幡羅郡長井庄の領主大江氏 鎌倉幕府の重臣大江広元の後裔か。 鎌倉相承院文書に「宝徳二年八月二十二日、大江持宗花押は、亡父の遺志により、長井庄聖天堂別当事を寄進すべき旨、鶴岡八幡宮相承院弘俊に報ず。 親類一人を代官として送りて所務を行わしむ」と見ゆ。 三 村山党宮寺氏族大江氏 飯能郷土史に「大江氏。 宮寺条参照。 明治九年高麗郡久須美村戸長大江賢助・文政二年生。 新堀村高麗神社明治三十八年碑に大江八郎。 昭和三年興信録に「飯能村・大江八郎・所得税百三十九円・営業税四十円」あり。 四 忍藩松平下総守(奥平)家臣 明治四年忍藩士族名簿に「又者(家老等の臣)・二両二人扶持・大江長作」あり。 五 鴻巣町 明治三十五年に大江重五郎あり。 大柄 オオエ 鳥取県日野郡日南町 十一戸あり。 オオガラ参照。 大永 オオエイ 大利根に存す。 王永 オオエイ 川越に存す。 大駅 オオエキ 島根県浜田市 十四戸。 大益 オオエキ 熊谷、浦和等に存す。 宮城県古川市 十二戸あり。 大嶧 オオエキ 越谷に存す。 大江喜 オオエキ 北本に存す。 大江指 オオエサシ 幡羅郡中奈良村字大江指あり。 オエサシと註す。 大枝 オオエダ 埼玉郡大枝村( 春日部市 )、隣村の平方村字大枝あり、オオエダと註す。 本庄、春日部、庄和、白岡、戸田、与野等に存す。 茨城県東茨城郡小川町 十戸、 美野里町 三十戸、 石岡市 二十五戸、 福島県伊達郡保原町 十二戸あり。 一 川越藩松平周防守(松井)家臣 明治元年川越藩分限帳に「中小姓・十石二人扶持・亡養父勝左衛門・大枝権九郎・六十一歳、養父権九郎・大枝多志治・十六歳」あり。 大条 オオエダ 越谷、川口、戸田、伊奈、大宮等に存す。 ダイジョウ参照。 大條 オオエダ 草加に存す。 大江田 オオエダ 明治十二年本庄町会議員大江田薫。 榛沢郡内ヶ島村永光寺明治二十四年筆子碑に本庄・大江田薫あり。 大恵田 オオエダ 春日部に存す。 大榎 オオエノキ 狭山、上尾等に存す。 大江山 オオエヤマ 鳩ヶ谷に存す。 成田分限帳に「十五貫文・大江山佐門」あり。 別本に大井代佐門あり。 代参照。 大丘 オオオカ 朝霞に存す。 一 百済族大丘氏 続日本後紀に「天長十年五月十一日、武蔵国少目従七位上大丘秋主等は、行路者の救護の為に多摩入間郡界に悲田所を設置す」と。 三代実録に「貞観六年八月八日、左京の人武蔵権大掾正七位下大丘造塵継等四人に姓を宿祢と賜ふ。 其の先・百済人也」と見ゆ。 大岡 オオオカ 群馬県富岡市 二十戸、 栃木県芳賀郡益子町 二十五戸、 鹿沼市 十八戸、 青森県八戸市 十六戸、 島根県浜田市 十戸あり。 一 鳩谷・岩槻藩阿部氏家臣 寛文二年岩槻藩分限帳に「四十俵・大岡市内、三十俵・大岡仁左衛門」あり。 二 騎西・川越藩松平周防守(松井)家臣 明治元年川越藩分限帳に「中老・二百五十石・亡養父閑喜斎・大岡多柄・三十九歳、中小姓・十石三人扶持・亡養父半左衛門・大岡半左衛門・五十八歳、父半左衛門・大岡熊太郎・二十歳」。 三 葛飾郡西大輪村 ( 鷲宮町 ) 迦葉院嘉永七年鰐口に大岡太兵衛あり。 四 同郡杉戸宿 明治九年副戸長大岡太平・文化十年生。 明治三十年人名録に米穀商大岡吉重・弘化元年生。 舎人稲荷社明治三十七年碑に大岡吉重・大岡金平あり。 五 埼玉郡岩槻町 西光寺寛文八年碑に大岡左兵衛あり。 六 入間郡新堀村( 坂戸市 ) 明治二十二年埼玉勧業会員大岡嘉蔵あり。 七 幡羅郡八木田村( 妻沼町 ) 妻沼村聖天宮文化十五年御神燈に八木田村講中・大岡熊蔵。 観音寺弘化四年筆子碑に七ノ丸大岡桂助・上郭大岡喜太郎、安政四年馬頭尊に当所大岡岩蔵・大岡喜太郎。 中奈良村長慶寺安政四年碑に八木田村大岡忠太郎・大岡岩蔵。 明治四年備前堀史料に八木田村名主大岡保太郎。 明治九年副戸長大岡保太郎・文政七年生あり。 八 雑載 昭和三年興信録・所得税に「 大宮町 ・大岡作蔵・三十円、入西村( 坂戸市 )・大岡万作・十円、太田村( 妻沼町 )・大岡熊太郎・十円」あり。 大桶 オオオケ 三郷、春日部、北本、浦和、桶川等に存す。 栃木県矢板市 十八戸あり。 大落 オオオチ 葛飾郡横堀村 字大落、八丁堀村字大落、下新田村字大落あり。 大音 オオオト 深谷、宮代、蕨、川口、三郷、入間、所沢等に存す。 一 忍藩阿部氏家臣 享保八年忍藩軍役帳に「御金奉行・百石・大音市右衛門」あり。 大表 オオオモテ 越谷、宮代等に存す。 大家 オオカ 東松山に存す。 鳥取県岩美郡 岩美町 九戸、 八頭郡用瀬町 二十六戸あり。 オオヤ、ダイカ参照。 鉅鹿 オオカ 蕨に存す。 相賀 オオガ 浦和に存す。 アイガ参照。 大鋸 オオガ 上福岡、朝霞等に存す。 大神 オオガ 鳩山に存す。 大我 オオガ 朝霞に存す。 大賀 オオガ 賀は古代朝鮮語の村の意味。 大賀は大族の集落を云う。 栃木県那須郡西那須野町 七戸、 下都賀郡都賀町 十三戸、 茨城県那珂郡大宮町 七十七戸、 猿島郡境町 二十戸、島根県(石見国) 美濃郡匹見町 十一戸、那賀郡郡 旭町 三十四戸、 三隅町 十九戸、 益田市 百四十戸あり。 一 川越藩松平周防守(松井)家臣 明治元年川越藩分限帳に「御勘定並・八石二人扶持・大賀磯右衛門・四十歳」。 二 葛飾郡 杉戸町 香取社安永七年水鉢に横町大賀太兵衛あり。 三 埼玉郡 騎西町 豪商にて、関八州富貴長者鑑( 所沢市 三上文書)に「前頭・武州騎西大賀清六」あり。 天保頃なり。 四 同郡境村( 川里町 ) 明治二年赤坂文書に「御家老藤堂左門様、大賀酉之助殿」と見ゆ。 当村地頭藤堂家の家老と村役人か。 当村に三戸存す。 五 同郡三田ヶ谷村( 羽生市 ) 蓮台寺正保二年鐘銘に旦那大加三左衛門、延享二年銘に大賀三右衛門あり。 現存無し。 大貝 オオガイ 明治三十年堰場組合に入間郡片柳村( 坂戸市 )大貝初次郎・大貝秀吉あり。 大谷 オオガイ 八潮、吉川等に存す。 福島県相馬郡鹿島町 三十一戸、 飯舘村 十三戸あり。 大我井 オオガイ 幡羅郡妻沼村字大我井あり。 大ヶ谷戸 オオガイド 入間郡上奥 富村 字大ヶ谷戸は古の村名にて、梅宮神社安政四年再建帳に大ヶ谷戸組と見ゆ。 今は大海道と書く。 大海渡 オオカイド 大里郡神社誌に「榛沢郡新戒村古櫃神社は、昔時より御焚上げと称し、鎮守秋祭に於て御膳部を奉納せる家中新戒に軒を並べて二軒ありたり。 東を大海渡と云へ、西を福島と云ふ、本分の間柄にて、大海渡と称するも以前は福島たりしとなり、両家軒を並べ垣を境とす」と見ゆ。 新戒村( 深谷市 )大林寺明治三十五年筆子碑に大海渡広司。 明治四十二年荒木翠軒碑に大海渡登文次あり。 大垣 オオガキ 栃木県下都賀郡壬生町 四十九戸、 国分寺町 十八戸、 栃木市 三十二戸、 宇都宮市 百四十戸あり。 一 岩槻藩松平伊賀守(藤井)家臣 元禄七年岩槻藩分限帳に「八石四人扶持・大垣八郎左衛門、五両二人扶持・大垣小助」あり。 二 川越藩松平大和守家臣 慶応元年前橋藩松山陣屋付に「六石余二人扶持・大垣義守」あり。 三 埼玉郡大沢町( 越谷市 ) 大沢猫の爪(福井文書)に「下組大垣弥平太祖父伝四郎・享保中荻島より引越、旅籠屋渡世、延享中松沢権右衛門弟安左衛門養子に参り、安永年中より年寄相勤候、其倅弥平太・安永より享和迄相勤、寛政之末百姓に成。 宝暦七年大沢町百姓・年寄柏屋大垣安左衛門。 明和五年帳面表・大垣安左衛門」と見ゆ。 四 同郡大場村( 春日部市 ) 香取社嘉永六年御神燈に大垣六郎左衛門、嘉永七年御神燈に青垣六郎左衛門。 明治九年戸長大垣六郎左衛門・天保十四年生。 明治十六年県会議員調に大垣六郎左衛門・十四町三反七畝歩所有(皇国武術英名録に鏡新明和流)。 明治三十年所得税下調査簿に大垣六郎左衛門・反別十二町二反歩・地租百五円。 昭和三年興信録に「武 里村 ・大垣永寿郎・所得税十七円」あり。 アオガキ条参照。 五 同郡薄谷村( 春日部市 ) 明治九年副戸長大垣所左衛門・文化九年生あり。 アオガキ条参照。 大柿 オオガキ 各市町村に存す。 栃木県下都賀郡国分寺町 十八戸、 鹿沼市 四十五戸、 宇都宮市 四十五戸あり。 青垣 オオガキ アオガキ条参照。 大額 オオガク 浦和に存す。 大欠 オオカケ 大宮に存す。 岩手県二戸郡一戸町 二十四戸あり。 大掛 オオカケ 朝霞に存す。 新潟県柏崎市 二十九戸あり。 大懸 オオカケ 所沢に存す。 大籠 オオカゴ 大宮に存す。 大笠 オオカサ 入間郡勝楽寺村字大笠あり、大上とも記す。 大笠原 オオカサハラ 昭和三年興信録に「深谷町・大笠原義造・所得税二十七円」あり。 大柏 オオカシ 狭山に存す。 大樫 オオカシ 越谷に存す。 大賀志 オオカシ 入間、川口等に存す。 大頭 オオカシラ 所沢、川越等に存す。 大風 オオカゼ 埼玉郡下 岩瀬村 ( 羽生市 )に四戸存す。 山形市 二十八戸あり。 大加瀬 オオカセ 草加に存す。 大方 オオカタ 三郷、春日部、鴻巣、浦和、新座等に存す。 福島県田村郡小野町 十六戸あり。 大片 オオカタ 狭山に存す。 大形 オオガタ 越谷、岩槻、上福岡、朝霞、戸田等に存す。 新潟県小千谷市 十一戸あり。 大県 オオガタ 忍藩松平下野守忠吉家臣にて、慶長十二年清洲藩分限帳に「五百石・大県伝六・是は忍にて罷出・大和之者」あり。 大加田 オオカタ 東松山に存す。 大勝 オオカチ 寄居、鴻巣、与野、大宮、浦和、川口、新座、川越、飯能、所沢、庄和、三郷等に存す。 山梨県東八代郡芦川村 六戸、 甲府市 十七戸、 新潟県長岡市 二十五戸あり。 ダイカツ参照。 大梶 オオカヂ 浦和、川口等に存す。 島根県簸川郡大社町 十二戸あり。 大鍛治 オオカヂ 川越に存す。 大角 オオカド 児玉、春日部、上尾、鳩ヶ谷、川口等に存す。 大門 オオカド 島根県邇摩郡仁摩町 十一戸あり。 オオモン、ダイモン参照。 一 岩槻藩大岡氏家臣 天明四年岩槻藩分限帳に「平席之分・大門与五郎」。 二 忍藩松平下総守(奥平)家臣 嘉永七年忍藩分限帳に「御小姓・百十石・大門学、御徒・六石二人扶持・大門三重次郎」。 慶応元年に「百十石・大門東蔵(本家大門市兵衛)・住口山形城」。 三 埼玉郡中手子林村( 羽生市 ) 当村に此氏の旧家あり。 四 足立郡苗塚村 ( 草加市 ) 地蔵堂跡寛延元年供養塔に苗塚邑大門吉兵衛あり。 大角地 オオカドチ 熊谷、桶川等に存す。 大鹿糠 オオガヌカ 東松山に存す。 岩手県久慈市 十八戸あり。 大兼 オオカネ 上福岡、川越、坂戸、富士見、志木、大宮等に存す。 栃木県芳賀郡茂木町 七戸あり。 大金 オオガネ 各市町村に存す。 栃木県那須郡黒羽町 三十八戸、 西那須野町 二十戸、 湯津上村 十八戸、 小川町 十二戸、 馬頭町 百五十五戸、 大田原市 三十八戸、 茨城県久慈郡里美村 四十五戸、 大子町 二十六戸、 那珂郡美和村 十五戸あり。 大鐘 オオガネ 入間郡大鐘村( 所沢市 )あり。 越谷、吉川、所沢、川越、志木、川口、戸田、大宮、浦和、上尾、鳩ヶ谷等に存す。 栃木県那須郡烏山町 十八戸、 千葉県夷隅郡岬町 十三戸、 市原市 三十二戸、 秋田県能代市 十四戸あり。 多金 オオガネ 鳩ヶ谷に存す。 大兼政 オオカネマサ 川越に存す。 大株 オオカブ 上尾に存す。 大鏑 オオカブラ 児玉党にて、上野国鏑川の辺より起るか。 米良文書に「児玉の在所の御名字の事、ゆつりはら、うけつか、わかいつミ、おうかふら、もくさい」と見ゆ。 大壁 オオカベ 浦和に存す。 宮城県牡鹿郡牡鹿町 九戸あり。 大釜 オオカマ 埼玉郡大塚村字大釜あり。 所沢、飯能、大宮、桶川等に存す。 岩手県稗貫郡石鳥谷町 十一戸、 青森県三戸郡五戸町 十二戸、秋田県仙北郡 仙北町 八戸、 中仙町 十戸あり。 大鎌 オオカマ 富士見に存す。 大上 オオガミ 埼玉郡中ノ目村( 騎西町 )慶応二年馬頭尊に中之目大上と見ゆ。 入間郡加佐志村字大上あり。 岩手県下閉伊郡普代村 二十一戸、 岩手県葛巻町 十三戸、 九戸郡山形村 十一戸、 久慈市 十八戸、 鳥取県米子市 十七戸あり。 一 葛飾郡大衾村(庄和町) 西金野井村花蔵院天保六年碑に大衾・大上辰之助。 永沼村八幡社明治二十八年碑に大衾・大上半蔵あり。 二 同郡神扇村( 幸手市 ) 天神社元禄四年己待供養塔に大上甚左衛門あり。 三 埼玉郡下蛭田村( 春日部市 ) 明治四十一年古峯院碑に下蛭田・大上申蔵あり。 四 秩父郡皆野村 寛保三年香具仲間連名帳に大上喜四郎あり。 五 同郡金沢村( 皆野町 ) 西光寺天保十五年鐘銘に金沢村大上勝次郎・大上政左衛門。 明治九年副戸長大上政治・文化十四年生。 国神神社明治三十四年碑に金沢村大上清一郎・大上太次郎あり。 大神 オオガミ 秩父郡野上下郷( 長瀞町 )に遍照寺及び野上三郎為氏の墓所あり。 此地を大神と称す。 秩父志に「大神、野上六郎、野上遍照寺」と見ゆ。 同郡下日野沢村字大神、埼玉郡袋村字大神袋耕地、入間郡大谷村字大カミあり。 行田、深谷、寄居、坂戸、朝霞、新座、和光、与野等に存す。 大狼 オオカミ 春日部、大宮等に存す。 大亀 オオカメ 草加、川口、新座、朝霞、富士見、日高等に存す。 大ヶ谷 オオガヤ 川越に存す。 また、比企郡福田村字大ヶ谷戸、幡羅郡西城村字大ヶ谷戸あり。 大ヶ生 オオガユウ.

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